個人購入しました。12分のDVD映像、3,000円です。

磐城平城は、徳川秀忠の命で、12年かけて江戸初期に築城されたものです(江戸時代、武家諸法度により新たな築城や増改築は禁止されていたので、最も新しい城であった)。明治に入ってから民間に払い下げられ、現在はその面影を直接見ることはできません。しかしこのDVDは、20枚程度現存している古地図を基礎資料として、映像・動画に起こしています。城の鳥瞰図、町屋から見上げた城等を、3D映像であますところなく紹介しています。

本丸は、三階櫓、六間門櫓、大手門櫓、中門櫓、八ツ棟櫓、隅図櫓、櫛形門櫓、塗師櫓、弓櫓、矢ノ櫓、弥市櫓等と塀で囲まれた、現在の旧城跡にある物見が丘(標高43m)にありました。その中に東西80間の平屋建ての政庁があり、高さ13mの三階櫓は天守閣の役割を果たしていました。

<城主の変遷>
中世~:磐城氏(大坂の陣で西軍へ加担し、秋田県由利本荘市岩城亀田※へ2万石で移封)
1602年 鳥居家(山形へ20万石で移封)、磐城平城築城。
1622年 内藤家(宮崎県延岡市※へ移封)
1747年 井上家
1756年~幕末 安藤家(譜代、幕末で安藤信正は老中就任)、戊辰の役・廃藩置県で城解体。

※由利本荘市と延岡市は、城主の縁で、いわき市と姉妹都市協定を締結し、定期的な人的交流・情報交換等をしています。

城の周辺は武家町(六間門・揚土・八幡小路・道匠小路・曲松・杉平・桜町・掻槌小路・田町・柳町・梅香町・四軒町・鷹匠町・仲間町等)で、町屋は、城の南側が中心(一町目・二町目・三町目・四町目・五町目・紺屋町・研町・長橋町・材木町等)だったそうです。江戸時代初頭には、陸前浜街道(今の本町通り)が形成されたようです。

戊辰の役の磐城平攻防戦で本丸や隅図櫓・八ツ棟櫓は焼失、明治の廃藩置県で残りの櫓は民間に払下げられ、多くは解体されてしまったようです(一部の櫓が市内の寺院に移設されているようですが、未確認)。また丹後沢を除く堀も同様に埋め立てられ、宅地となってしまいました。

現在のいわき駅は、明治時代に城の南側に位置する城坂堀を埋め立てて作られました。我々の便利な市民生活は、過去の先人達の歴史の上に成り立っていることを忘れてはいけないと思います。

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古地図と現在の地図を合わせると、当時のそれぞれの櫓と堀の位置が分ります。
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