京都に行く機会があったので、駅前に立地(徒歩8分)するイオンモール京都店に立ち寄りました。京都にはこの京都駅南口のイオンモール京都の他、北口の五条にも、別のイオンモール京都五条店があり、都市型でありつつも顧客を奪い合う共食い(カニバライゼーション)状態にあります。
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イオンモールのの基本形は総合スーパーイオンをキーテナントとし、サブテナントとして家電、スポーツ等の大型専門店、百貨店をモールの両サイド配置し、100店以上の専門店モールでを結ぶリージョナル型(広域商圏型)のモール型ショッピングセンターです。シネマコンプレックスも併設されているケースが多いです。敷地面積10万m²以上、商業施設面積6万m²以上、駐車台数3,500台以上で、郊外、準郊外を中心に展開するものです。
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その基本形からすると、イオンモール京都は都市型でありため、規模もやや小さく(それでも商業施設面積45,200m²、約140店舗)、また総合スーパーイオンが入居していないという違いはあるものの、シネコンや大型書店、大型商業施設ゼビオ等が入居しており、モールを形成していました。 

シネコンのスクリーン数は12。そのうち1-2のスクリーンは常時、3D対応の作品を上映しています。中規模のスクリーンを多数用意して、顧客を待たせない、また作品の選択肢を広げるというのは、デジタル映画時代(フィルム時代は、物理的に複数のフィルムを準備できなかった)において、もはや必須といえるでしょう。
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キーテナントとして、大型書店(大垣書店)、大型スポーツ用品店(スーパースポーツゼビオ)が入居していました。書店の規模は、1フロア貸し切り、書物検索機が3台も設置されている巨大なもので、鹿島ブックセンターの数倍の規模でした。圧倒的な品揃えから、それぞれのテナントのみを目的に来店される方も少なくないでしょう。
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京都で、福島県出身のゼビオを見るとは思いませんでした。スーパースポーツゼビオは、どの大型店舗も店内に巨大な動物(クマやオオカミ等)の剥製を置くことをポリシーとしているらしく、こちらでは人の背丈ほどもあるヘラジカの剥製が、店頭で偉容を誇っていました。自然の中にはこんなに大きな動物がいて、地球の一員として私たちと共に生きている、ということを伝えたいというコンセプトなのでしょうが、デカ過ぎて子どもが怖がるような気もします・・・
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専門飲食店街とともに、フードコート、プレイランドも充実していました。家族連れを呼び込み、買い物をするしないに関わらず、リーズナブルに半日過ごしてもらう、そんなコンセプトがこちらでも見られます。独立系商業者によく見られる「売らんかな」の態度がないところが、かえって一般消費者が立ち寄るハードルを下げているのでしょう。
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小名浜に建設予定されているイオンモールも、イオンモールとしては中規模のものとなると噂されており、おそらく店舗数もやシネコンの併設等、イオンモール京都店と大きく違いはないでしょう。既存の商業店舗の経営にとっては強力なライバルの出現ですから、否応なく生き残り戦略を再検討しなければなりません。 新規参入者(イオン)に対する参入障壁を上げて対抗するのではなく、自らの市場ポジショニングを再検討して、自らの強みを活かせるよう準備しておくことになると思います(イオン営業開始まで、あと2年の準備期間があります)。要点は、既存事業者が消費者のためにどんなメリットがあるか、どんな付加価値を付けることができるかだと思います。

一方、消費者視点では、イオン参入により買い物や余暇の選択肢が広がることになるでしょう。また経済学(DDSS曲線)の視点では、供給サイドの増大によりSS曲線(供給曲線)が右方向にシフトすることにより、供給量増大・価格低下をもたらします。それはプラスの消費者余剰を生み出すため、消費者にとって好ましいということを意味します。

既存の商店街を壊すので保護が必要との指摘もあろうかと思います。まず、そこには地場産業としての産業・文化保護なのか、それとも既存事業者の生活のための生き残りを目的とするのかで話しは変わってくると思います。前者であるなら、地場産業保護がどのように地域消費者にメリットがあるかを明示しなければ、そしてそれに賛同する人が多数いなければ、議論に乗りません。後者であるならば、それが地域消費者に受入れられるものなのか議論が必要です。

このように分析していくと、既存事業者を大事にしない市場原理主義者、とのレッテルを貼られそうです。私もいわきに生まれ育った人として、いわきの事業者には事業継続を通じていわきの文化に貢献して欲しいと願っています。ただ膨大な先人達が考えだした現状分析の理論や枠組みを用いないのは、歴史を冒涜するようなものとも考えているのです。「小人は経験から学び、大人は歴史から学ぶ」との格言があります。先人達の残した理論や枠組みを用いその上で、新たな発想を加えてあるべき政策・行動を考えていくというのが筋ではないかと思うのです。実のない、結論を目指さない議論を延々と続けるのではなく、何がいわき全体にとって良いことなのか、そのための犠牲があるのか、犠牲を補うための方策はあるのか等を、筋道たてて、義を貫いていかなければ、声の大きい人や権威のある人の意見が通ってしまうことになります。それこそ名著「失敗の本質」の書かれていることです。
http://www.mikito.biz/archives/20737667.html