2018年7月に、イオンモールいわき小名浜 売上が上がらない原因をブログに書きましたが、フードコート・映画館を中心に、週末賑わっています。地元事業のテナントが少なく、いわき経済内でオカネが循環せず、売上・仕入ともに市外へ流出してしまっているので経済的には-ですが、消費者の選択肢が増え、楽しみができたことは市民生活にプラスです。

自家用車で、鹿島街道からダイレクトに駐車場にアクセスでき、そのまま雨に濡れずモールの店内に入れることができるので、あらためてその立地を考えることは少ないと思います。しかしイオンモールない数年前までは、鹿島街道はアクアマリンまで抜けられず、自動車修理会社が立ちふさがっていてT字路になっていました。またイオンモールが立っている場所は、福島臨海鉄道会社の小名浜駅でした。

<イオンモールいわき小名浜 売上が上がらない原因は、コチラ>
http://www.mikito.biz/archives/52162418.html
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その跡地であることが確認できるのは、モール南西側に設置された線路と踏切です。かつてはここは、日本水素・日本化成を中心とした臨海工業地帯で、港から積み上げた原材料を工場で加工し、製品として貨物列車でその引込線から、工場からダイレクトに列車で臨海鉄道・常磐線経由で、関東圏へ出荷していました。

さらに臨海工業地帯になる前の昭和の前半は、小名浜港は海水浴場でした。江戸時代は前浜と呼ばれ、捕鯨していたという磐城七浜の絵図も残されています。

<近世いわきの藩展 磐城平藩ー鳥居・内藤時代ー>
http://www.mikito.biz/archives/44507517.html
<地名の変化にみる、いわきの近代化は、コチラ>
http://www.mikito.biz/archives/24091954.html
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小名浜の歴史が銘板に記されていました。以下引用です。
小名浜駅の歴史は、明治40年12月に開業した小名浜軽便馬車軌道に始まります。当時は小名浜・泉間を、旅客と塩・鮮魚などの物資を馬車で運んでおりました。昭和14年には、泉駅から常磐線への直通運転を図るため、地方鉄道の免許を取得し、小名浜臨港鉄道となりました。
小名浜駅の役割が大きく変わったのは、昭和39年の磐城・郡山地区の新産業都市の指定です。小名浜港の整備も進み、石炭火力発電所も設立され、小名浜は一大臨海工業地帯として飛躍的発展を迎えることになります。
急増する原料・製品などの貨物輸送に対応するため、公共交通機関としての整備の必要性から、福島県・国鉄及び地元企業が資本参加し、昭和42年に現在の福島臨海鉄道となりました。当時の駅構内は、2号埠頭・3号埠頭まで線路が敷設されており、港と直結していました。
平成23年東日本大震災による津波で、小名浜駅は壊滅的被害を受けました。
全国ネットの貨物輸送網の復旧は地域経済の復興上、急務であり、約1年を要し運転再開させました。
同時に進行していた震災復興土地区画整理・津波復興拠点整備の都市計画上の要請を受け、平成27年1月、小名浜駅は西方へ600m移転致しました。
100年余り鉄道駅として歴史を刻んだこの地に、昭和40年代に活躍した機関車の動輪を寄贈し、王子の記念といたします。
平成30年6月
福島臨海鉄道株式会社

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2011年の東日本大震災なかりせば、イオンモールいわき小名浜の実現はなかったし、そもそもこの地にあった、福島臨海鉄道株式会社の小名浜駅の新築移転もなかったでしょう。痛ましい津波犠牲者を出した天災ですが、それもまちづくりには大きなインパクトとなったことは間違いありません。

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