著者の黒木亮氏は、「トップレフト」「巨大投資銀行」等の小説家です。自らの三和銀行・三菱商事での勤務経験を元にした小説は、現実の金融・投資業界のリアルを描いています。小説というスタイルを取ることで、ほぼ実会社・実名で書ける。そんな著者が、日本のアパレル業界の歴史を、あるアパレル会社の起業から消滅まで(正確には買収され、経営陣が総退陣するまで)を書いています。金融の世界だけでなく、アパレルにも詳しいんですね。私も、ラルフローレンの企画・製造をしていたアパレル会社の会計監査を数年やっていたので、業界には詳しいつもりでしたが、新たな視点をいただきました。

中心となるのは、日本の伝統的なアパレルメーカー、東京スタイルです。1977年に東京証券取引所1部上場となった、無借金経営で有名な会社でした。2002年から村上ファンドが株式を買い集め、株主提案で、内部留保を使って自社株買いを行うことを提案し、プロキシーファイトとなった「東京スタイル事件」の経緯も、もちろん詳細に記載されていました。村上世彰氏が、仲裁に入ったイトーヨーカドーの伊藤雅俊氏を激怒させてしまったんですね。

・昭和の時代の百貨店は、夢のようにモノがあふれ、消費者吸引力は強大だった
・百貨店の職員食堂は、幼稚園のお遊戯会のように他職種のコスプレであふれている
・繊維業界は、糸を作る「川上」、生地を作る「川中」、縫製・アパレル・小売りなどの「川下」
・百貨店が消費者に売る価格が「上代」、アパレルが百貨店に卸す価格が「下代」の下代÷上代が掛け値。その率は百貨店とアパレルの力関係や商品によって異なるが、一般的に60-70%。
・従来のアパレルメーカーの原価率は、20-30%。
・中国への生地や縫製の生産移管が、国内業者(特に川中)の激減につながった
・百貨店とアパレルメーカーの「消化仕入」という特殊な取引形態が、長期的に両者のパワーを弱める遠因となってしまった

当時の東京スタイルは、日本全国の生地生産地や親機を知り尽くし、その時点でベストな先に発注、売れ筋を見ながらすぐに追加発注し、売れ筋を逃しませんでした。そして丁寧な縫製と仕上げから、安定した顧客基盤を作りました。支払条件等の金払いが良かったので、受託先とWIN-WINの関係性も作れた。
一方、現代のSPAの代表であるユニクロも、詳細が違えど、かなり似ていると思います。全世界で最適な生産地を探し(結果として中国メインですが)、売れ筋を見ながら追加発注し、大量の在庫を抱え込まないようにしました。ベーシックな定番商品を基本とし、機能性と品質の向上を追求しています。低価格にもかかわらず、大量発注するので、受託先とWIN-WINの関係性も作れています。
時代が違うので、日本国内/国外生産、企画製造アパレル/SPA、規模の大小という違いはあるものの、商売のスタイルはかなり似ているのではないか。東京スタイルは、創業者社長の死去、2代目社長の専横、3代目社長の迷走で、事実上、消滅してしまいました。さて、ユニクロはどうなっていくのか。事業承継が最大のキーポイントであることは、間違い有りません。

<ユニクロ ニューヨーク 5番街店は、コチラ>
http://www.mikito.biz/archives/25612167.html
2020-04-23 12.27.27-1