著者のひとりエイミ・ツジモトさんは、米国ジャーナリストですが、自らも放射線障害を持っている広島出身の被ばく2世だそうです。2011年3月の東日本大震災時に、被災地に急行し、被災者支援をおこなってくれた空母レーガンらを主体とするトモダチ作戦Operation Tomodachiは、日米間の友情と信頼関係をあらためて実感させました。一方、その影には、活動にあたった兵士や艦船の放射線被ばくがあったことは、あまり知られていません。副題の、Soldiers Left Behindの意味は、取り残された兵士達ということでしょうか。その影に焦点を当て、切り捨てられた兵士らにインタビューし、実態に迫った本です。

まず「トモダチ作戦」を振り返りたい。
3/11の東日本大震災が発生し、日本政府は米国へ支援を要請。ちょうどインド洋に向けて西太平洋を航行中だったアメリカ海軍の原子力空母ロナルド・レーガンが、急遽行き先を変更し、福島県沖に棟博したのは、3/13早朝でした。ちなにみ原子力空母レーガンの乗組員は5000人、他に25隻の艦船、航空機も駆けつけてくれて、約1万7千人の兵士らが、被災者救出・ヘリの往復で支援物資の運搬をしてくれました。なんとその支援物資は、艦内の兵士たちのための食料であり、衣類でありペットボトルの水だったそうです。

しかし、空母レーガンには福島第一原発が水素爆発を起こし、大量の放射性物質が飛散していることは知らされていませんでした。3/13-3/14にかけて、放射線プルームのまっただ中に空母レーガンが停泊してしまったのです。空母はその機構上、甲板は吹きさらしだし、艦載機エレベータの昇降により、外気が艦内を巡っています。結果として、甲板で作業していた兵士は勿論、乗組員約五千人が大量の放射線を浴びました。このトモダチ作戦終了直後から、従事した兵士たちは白血病など様々な病を発症しました。いまでも放射線障害に苦しんでいて、少なくともすでに9人が亡くなったとのこと。

放射線障害により体力がなくなった兵士らは、除隊を余儀なくされた者もいます。除隊になると、軍向けの医療施設も使えず、医療保険がない彼らは、高額な治療費が払えない。しかも体力がないので、まともな仕事に就けない。という二重三重苦に陥っています。

米軍兵士は、原則として従軍による危険について宣誓して入隊しているので、軍を提訴することはできません。したがって兵士らは東京電力などに対して救済基金設立を求める訴訟をし、その原告は400人を超えました。しかし今のところ、訴訟の行方はまだ見通せないとのこと。

映画 Fukushima50では、トモダチ作戦の場面が登場します。支援物資を空輸し被災地に送り届けるシーンには、空母レーガンの放射性被ばくの事実について、まったく触れられていませんでした。忘れてしまってはいけないと思います。

<小説 Fukushima50は、コチラ>
http://www.mikito.biz/archives/54392974.html
2020-03-07 08.11.58-1