春と秋の2回チャンスがある、皇居乾通り一般公開に参加しました。今回は、大嘗宮一般参観と同時開催です。モミジやカエデが紅葉しかかっていました。蓮池濠のハスはすっかり枯れていましたが、蓮池の石垣は見事。乾濠は、江戸城の戌亥(北西)の方向にあるから、そう呼ばれているそうです。

<大嘗宮一般参観は、コチラ>
http://www.mikito.biz/archives/54065176.html
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宮内庁をじっくり見る機会はそうそうありません。ちなみに太平洋戦争時に明治宮殿が空襲で焼失してしまい、1968年に現在の宮殿が再建されるまで、この建物が宮殿の代役を果たしていたそうです。GHQの日本占領時代を経て、20年以上も本来の宮殿がない状態が続いていたんですね。

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伏見櫓はこの角度で見上げるのが一番、カッコイイと思います。江戸城の中で数少ない、完全に近い形で残っている櫓です。

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普段の皇居東御苑公開や皇居勤労奉仕等で、立ち寄ることができない、坂下門を通ることができました。
<皇居勤労奉仕2018は、コチラ>
http://www.mikito.biz/archives/52706679.html
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坂下門といえば、有名なのが坂下門外の変。老中 安藤信正が水戸藩浪士に、江戸城坂下門外で殺傷されたテロ事件です。安藤信正公は、われらが磐城平藩の藩主。いわきの歴史の中で、歴史の教科書に登場する数少ないシーンです。安藤信正公は、英仏による日本植民地化を救った磐城平藩主、幕末の英雄。そのほか、公武合体・小笠原諸島の日本領有宣言・ ロシアによる対馬占領の退去・桜田門外の変で暗殺された井伊直政を原因とす水戸藩と彦根藩との国内内戦の回避等、短い老中任期期間中に、驚くべき業績を残しました。そんな信正公が、約150年前に、まさにここで瀕死の重傷を負ったとは・・・

<安藤信正の業績は、コチラ>
http://www.mikito.biz/archives/44025315.html
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坂下門外の変では、門の外側で襲われ、背中を切られながら、なんとか城内に入り、その場で手当てを受けたそうです。ちょうどこのあたりでしょうか。
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今回は、大嘗宮一般参観と同時開催ということもあり、英語・中国語・フランス語・スペイン語等、外国語対応の地図が準備されていました。参加者の割合としては、もちろん日本人が圧倒的なのですが、視界には必ずどこかに外国人旅行者の姿が見られました。国の王朝が占拠する場所、いうなら王宮の一部が限定公開されているという視点で、海外からも注目されていると思います。

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