著者の山蔭基央氏は、山蔭神道「山蔭家第79世」。これまでに神道関連だけでなく「ユダヤの世界支配戦略」等の本も書かれている古神道家です。山蔭神道は、言い伝えによれば、明治期に、いくつかあった古神道は新しい国家神道へ統合されたので、ほとんどの古神道はなくなりましたが、山陰神道は、古伝の神道を継承するために独自の道を歩み、太古神道を伝承しています。愛知県幸田町にある宗教法人山蔭神道貴嶺宮(きれいぐう)をベースに活動をしているそうです。

大前提として、神道は、日本人の奥底にある生命であり、日本文化の基盤であること。神道は、日本古来の民俗宗教であることは間違いないが、他国発祥の宗教でなく、日本で生まれた自然宗教。しかし神道は、西洋的な宗教の概念にあてはまらないことがある。
・無教祖(キリスト教のキリスト、イスラム教のマホメットに相当する者がいない。あえていえば教祖は自然、大自然崇拝教)
・無教義(キリスト教の聖書、イスラム教のコーランに相当する教義・経典がない。言葉をいくら連ねても、大自然や神霊は収まりきらない)
・無戒律(キリスト教にもイスラム教にも戒律がある。神道は罪や救済を問わない)
・無偶像(キリスト教の十字架に相当するものがない。)
・無組織(明治期に国家神道という組織は神社本庁として残っているが、それに入っていない神社も多い)

個人的には、神道は日本の国体と密着しているので、いわゆる日本国憲法第20条の「宗教」の定義にあたらないと思います。というか、現憲法の制定前、2000年以上前から国・国民に定着している神道という高次の日本の精神を、にわか仕立ての法律が定める宗教などという低次のレベルとものと同格に論じるべきではない、と思います。そもそも宗教というからには、上記のような教祖・教義・偶像・組織があるはずでしょう。一方、日本人の古来の行動規範となっている神道にはそういったものは存在しない。堂々と神道ベースの国家儀式をやってよいと思います。

<御代替り やはり神道は宗教ではないことを確信は、コチラ>
http://www.mikito.biz/archives/53407695.html
2019-11-05 11.30.59-1

「祈り」は「意宣り」です。神様に対する畏敬の念を示し、既に叶ったと深い感謝の気持ちを伝えるために行く場所です。「意宣り」が深ければ深いほど、感謝を伝えられずにはいられない、行動せずにはいられない、そのひとつとして神社へ通うのです。神社は、願い事を叶えてもらうために行くのではありません。