著者は、これまで古事記や源氏物語等の古典の現代語訳を多く手掛けてきた方。その主張は、「日本の性にタブーはないが、モラルはある」。そしてエロが日常だったというのも「そういう日本だったんだからしょうがないじゃないか」。

現代につながる禁欲的な性表現・セックスの価値観・行動規範は、明治時代以降につくられたもの。例えば、明治刑法における「猥褻の罪」や太平洋戦争後のアメリカの価値観です。それ以前は、そもそも猥褻という概念がなかった。だから現代の「エッチ」=変態性欲という概念も当然、なかった。江戸時代以前には、性表現のタブーはなかったし、性にもほぼタブーはなかった。あったのは、モラルだけ。性的タブーがなかったので不倫はそこここで行われるが、モラルとしての姦通の罪には問われる等。

<えろまん エロスでよみとく万葉集は、コチラ>
http://www.mikito.biz/archives/53793079.html
2019-09-25 18.40.54

古事記では、イザナミとイザナギが、天の沼矛で日本列島の素となるオノゴロ島を作るところシーンがあります。その新居で行われたのは、創造活動として、まず性行為をすること。これでいろいろなものを作っていきます。天孫降臨のシーンでは、ニニギノミコト(アマテラスオオミカミの孫、神武天皇の曾祖父)が高天原から地上に降りてきますが、その途中、コノハナサクヤヒメという美女をナンパして、すぐまぐわってしまう。古事記や日本書紀というオフィシャルな書物にさえ、性が普通に描かれるくらい、日本には性が、日常にあったということでしょう。だからこそ後世に、歌舞伎や浄瑠璃の洗練されたエロチック表現や、喜多川歌麿の錦絵に見られる独特な肉体観など、世界に類を見ない、性に関する日本の高度な?文化が花開いたのでしょう。

古典に関する紹介を読むと、強烈な人間生理である性が、当時の人たちの行動を決める大きな要素のひとつであったことが、リアルな実感を持って見えてきますね。学校で教わる平安文学は、リアルな性が表出している部分をかぎりなく排除していますが、もっと当時の人の感情の機微を知るためにも、リアルな性を入れたほうが、より良く感情移入できるし、実際、(いろいろな意味で)役立つのではないか。平安時代の源氏物語から始まる古典「小柴垣草子」「伴大納言絵巻」等の絵巻物、喜多川歌麿の錦絵等には、単なる恋愛にとどまらず、近親相姦、人妻との不倫、男色・ゲイ等のシーンが、実際に出てくる。こういった先人の営みを知れば、恋愛に不器用といわれる今の若者に、よい刺激になるのではないか。ただ、そのレベルは、中学・高校で段階的にやっていかないといけないでしょうが。