予科練とは、海軍飛行予科練習生のことです。全国に19施設が作られ、約2万4千人が卒業しました。一方、その戦死者は1万9千人と、卒業生5人のうち4人が戦死したという壮絶な学校です。横須賀に開設当初は、入学倍率40倍を超えるほどの人気でした。高等小学校卒業で、知力・体力・視力・精神力が備わっていないと入学できなかった。その入学のハードルは、士官学校にあたる海軍兵学校の次に高かったそうです。その歴史を公開し、同時に慰霊するという施設が、予科練平和記念館。全国に設置された予科練を代表し、もっとも規模の大きかった土浦海軍航空隊(茨城県阿見町)の跡地に建設されました。ちなみに、霞ヶ浦沿いを走る自転車道つくばりんりんロードのそばです。

<つくばりんりんロード 霞ヶ浦自転車道は、コチラ>
http://www.mikito.biz/archives/53629969.html

白とグレーのキューブを積み重ねた平屋建ての建物は、近代的ですが、鎮魂のイメージなのでしょうか。内部は、入隊→訓練→心情→飛翔→交流→窮迫→特攻の七つのゾーンの順に部屋が別れて展示。遺族からの遺品の提供を受けての展示だけに、手紙・教科書等、ホンモノばかりです。写真撮影が禁止なので、紹介できないのが残念です。

特に秀逸だったのが、昭和を代表する写真家、土門拳さんの写真です。わざわざ土浦海軍航空隊に泊まり込んで撮影した写真42枚。これら戦前の軍隊に関する資料・写真は、戦後のGHQ指令により、すべて焼却処分されてしまったので、残っているのは奇跡です。当時の海軍飛行予科練習生が、生き生きと、座学、組み体操・水泳等の体育、ハンモックでの睡眠等をしている姿が、ばっちり写されていて、誇りと自信を持って、活動されていたことがよくわかりました。おそらく大東亜戦争開戦前の、良き時代に撮影されたものだったかもしれません。

<GHQ検閲指針・プレスコードの呪縛は、コチラ>
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屋外には、零戦の模型が展示されていました。設立当初の予科練では約2年あまりで、学校教育+軍事訓練でやって卒業し、その後、航空隊に配属されてから飛行訓練をするというものでした(大東亜戦争開戦後は、学校教育はほとんどせず、6ヶ月間に短縮し、メインは飛行訓練中心)。練習機は赤とんぼという複葉機がメインでしたが、ゼロ戦にも練習機があったらしい。

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人間魚雷 回天も屋外展示されていました。真珠湾攻撃の際、特殊潜航艇による特別攻撃が行われ、結果9名が戦死し、九軍神とされましたが、そのひとりも予科練卒業者です。

予科練卒業者で最も有名なのが、世界一の撃墜王、エースパイロット西澤廣義(広義)中尉でしょうか。高等小学校卒業後、横須賀航空隊の乙種飛行予科練習生として入学し、その後、霞ケ浦航空隊で飛行訓練し、実戦に投入。大東亜戦争中に敵機150機を撃墜したといわれています。これは、「大空のサムライ」を著した、坂井三郎氏の撃墜数の2倍を超えており、尋常ではない記録です。

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予科練平和記念館の敷地の隣には、陸上自衛隊土浦駐屯地武器学校があり、その敷地内に雄翔館があります。敷地境界には、自衛官が警備していて物々しい雰囲気。

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旧土浦海軍航空隊跡、「国思ふ 若人ここに 学びしを のちに伝へむ 桜花咲けよかし」。公益財団法人海原会。

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その敷地内に、「雄翔館」が設置されています。雄翔館は、予科練出身者、遺族などで構成される財団法人海原会が管理していて、予科練戦没者の遺書・遺品約1500点を収蔵、展示しています。散華された方の、それぞれの遺影・亡くなった場所・手紙・遺品等がセットになって、それぞれ展示されています。ひとりひとりの濃い人生が、そのセットに集約されていて、圧倒されます。それぞれの先人の思いに圧倒されながら、100人以上のセットを見ていると、今の自分がいかに小さい存在かということが、わかってきます。当時の方々の知識や世界に対する理解、そして使命感は、自分と全く比較にならない。インターネットがない戦前の時代に、よくぞこれだけ世界のことを理解していたんだなあと思います。そしてそれを踏まえた上で、家族・国を守るために行動した使命感に、打たれます。野中郁次郎氏が書いた「失敗の本質」のとおり、戦術的な現場の戦闘では、ほぼ負けなしだったにもかかわらず、トップの腐りきった指令を大きな敗因要素として、日本は連合国に戦略的に敗戦した歴史から、学ぶことは多いはず。

<失敗の本質は、コチラ>
http://www.mikito.biz/archives/34605520.html
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山本五十六の銅像が、雄翔館の前に設置されていました。電撃的な真珠湾攻撃の現場指揮官としての功労者という見方もありますが、真珠湾攻撃を進言したことによって日本を大東亜戦争に引きずりこんだあげく、早期講話終戦を主導できなかった戦犯という見方もあって、評価は分かれています。

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雄翔館と対になるのが、雄翔園。ここでも数字の「7」がキーワード。芝生置かれた七個の石は予科練の制服「七つボタン」と「七つの海」ん両方のオマージュだそうです。ちなみに、池と築山は日本列島全体を表し、全国各地から運んだ石と、木が移植されています。これは全国から予科練に入学し、結果、散華された方への追悼の意味だそうです。


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予科練の戦没者約1万9千人の霊璽簿(れいじぼ)をおさめた「予科練の碑」。こんなひっそりとした場所で良いのでしょうか。現在は、遺族会らのご寄付で運営されているそうです。そもそも日本国のために精魂を尽くした先人の慰霊碑ですので、日本国の予算で記録・公開・慰問すべきではないでしょうか。

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