著者の門田隆将氏は、「死の淵を見た男―吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日」を書く過程で、丁寧に福島第一原子力発電所事故後の状況を現地で取材された方です。それまでは週刊新潮の記者としてジャーナリズムの世界に身を置かれていました。独立後は、ジャーナリスト・ノンフィクション作家として活動されています。

本来、広く社会を分析し文章にすることで、読者に情報を提供するプロであるはずの記者たち。しかし、実際、今の朝日新聞・読売新聞を代表する新聞は、実はひとりよがりで、狭い観念論の世界に閉じこもり、自分の思いや主義主張によって、情報自体を歪めていると、著者はいいます。この背景には、新聞は現体制を批判すべきもの、という思い込みがある。こういった人たちの集団が特定の新聞社に集まってしまった結果、一部の新聞社は、日本そのものをおとしめたい団体、主義主張を発信し続ける団体になってしまった。

例えば、安保法制等で、自国民を海外から救出することを縛っているのは日本だけ。できるような法改正改正されては困る(困る国や団体から支援を受けている)人たちから、「戦争法案」のレッテルを貼られ、新聞がそれをあおることで、葬り去られてしまうから。明らかにこの不作為は愚かなことですが、こんなことをのんびりとやっていて、大きな犠牲が生まれるまで、その愚かさに気づかないのでしょう。

著者が、(主に)朝日新聞・毎日新聞を批判する主な要点は、以下のとおり。

◎地道な取材より会見の失言狙い
→記者会見では、答弁者の失言を誘導するような質問をし、答えの前後の一部を切り取り、情報をゆがめた上で、批判する。

◎いまだ左右対立視点しか持てず
→昭和55年体制の自民党対社会党の2局視点で、ものごとを論評している。北朝鮮が、日本向けにミサイルを発射しているときにも、森友学園・加計学園の国会論争の内容に大きく紙面を割く。しかし現実社会はそんな単純なものではないし、2局視点は(観念論だけで)何の具体的な解決策を生み出さない。新聞は、日本の現実の重要問題のレベルを理解した上で、国益・国民の利益となるような情報を提供すべきであろう。

◎戦争をするのは日本という不安商法
→日本が独立した国家となることは、軍国主義復活への道であり、それは戦争への道だと説き、国民の不安をあおりまくる。新聞は、空想平和主義者。しかし、現実社会はリアリズムに満ちており、逆に空想平和主義では日本は守れない。

◎日中友好絶対主義
→新聞は、中国からのどんな理不尽な要求に対しても、声を荒げずに受け入れることで、友好を維持すべきだ、とする。しかし、それは見せかけの友好であり、かえって無条件に受け入れて来たという事実が、先方の意識をミスリードし、国益を損なっている。

◎命より憲法という本末転倒
→新聞は、憲法>国民の命を主張する護憲(憲法改正反対)一色である。緊急時の在外邦人救出のために、自衛隊が出動したり、そのための根拠となる法律改正することなど全く眼中にない。しかし、国民の命を守るのが国家、そのための憲法のはず。

◎タブーを週刊誌に丸投げ
→これまでの常識・習慣を覆すような記事は、週刊誌ばかりである。しかし本来、そのような機能を新聞の経験豊かなプロ記者が担うべきではなかったか。

◎ご注進ジャーナリズム
→中国・韓国にとって有利な日本国内の情報を、意図的に(事実を改変してまでも)報道する。日本の国益をおとしめる行動は、中国・韓国のためのご注進ジャーナリズムとしかいえない。しかし、本来、日本の新聞は、日本の国益を考慮して、行動しなければならないはず。

◎ヘイトと差別を使い分け
→新聞に都合が悪い主張は「ヘイト」と呼んで貶めるのに対し、新聞に都合が良い主張に対しては「差別は良くない」と肩入れする。しかしこれはまさに、新聞が自分たちの主義主張をするためのビラに過ぎないことを表わしている。

2019-06-04 08.02.23

著者は、新聞にはまだ期待しているし、本書は、新聞対する応援・励ましの書だと書いています。しかし、読めば読むほど、朝日新聞をはじめとする新聞のスタンスとその報道行動は、一朝一夕には変わらないだろうということもわかります。