日本を変えた千の技術博が、国立科学博物展で開催されました。明治から現在までの150年で、日本が開発した数々の技術が展示されています。明治から150年で一気に西洋科学を取り入れ技術先進国となった日本の軌跡。もちろん先人たちの努力の積み重ねがあってのことだけれど、その基礎は人づくり、教育にあると感じた。江戸時代から藩校や寺子屋で高い識字率と道徳観が養われて、それが明治以降も引き継がれた。

この国立科学博物館、通称カハクでは、年に数回の特別展を開催していますが、どれも展示レベルが高いのとともに、わかりやすい解説がされるので、大人からこどもまで、それぞれの知識レベルに合わせて、楽しめます。それだけでなく、いろいろな気づきを得ることができます。

<前回の特別企画展は、コチラ>
http://www.mikito.biz/archives/52520504.html
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その中で、どうしても見たいものがあった。それは国産初のブルドーザーコマツG40。これがGPS工事車両 世界のコマツの原点かと思うとあまりに感慨深い(^^)

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国産初の旅客機YS-11。合い言葉「横浜(Y)、杉田(S)で11日にあいましょう」のあの、YS-11です。実際は、輸送機の頭文字「Y」と設計の「S」、エンジン候補番号10案の「1」、機体仕様候補1案の「1」らしいですが。いずれにせよ、太平洋戦争戦前は世界有数の航空大国であった日本が、戦後、航空機の開発を一切GHQが禁止され、技術が途絶えてしまった。それをゼロ戦の開発者、堀越二郎さんらベテランと若手技術者が、いちから開発をした航空機です。これの風洞実験をした現物の木製模型です。これを堀越二郎さんは、その手で撫でていたかと思うと感慨ひとしおです。

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傑作エンジンと呼ばれた空冷式の「栄」。零戦や隼に搭載され、軽快な運動性能を実現していたエンジン現物です。丁寧にメンテナンスされ、いまでも完動しそうです。

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日本初の工作機械。安川電機製。

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戊辰戦争時には、日本初の西洋式野戦病院が開設され、西洋医学の導入・発展に大きく寄与しました。その病院が日本で初の常設となったのが、いわき平の性源寺に置かれた奥羽出張病院です。そこに常時掲げられたのが、この病院旗です(奥羽出張病院はその前に茨城県の平潟に仮設されましたが、病院旗は掲げていなかったらしい】。

<性源寺 奥羽出張病院は、コチラ>
http://www.mikito.biz/archives/51324020.html
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小学校教則綱領には読み書き算盤の前に「修身」の教科が置かれ、小一から卒業までの8年間ずっと学び続けていた。現在の理科は、博物、物理、化学、生理として小学校からやっていた。西洋科学のインパクトとその必要性を明治期のリーダーがいち早く見抜き、即実践し修正しながら社会実装していったことを体感した。

日本人の強みの原点は、家族・友人融和、敬神崇祖、和を以て貴しとするこの「修身」教育にそのエッセンスが詰め込まれているのではないか。

<国民の修身 高学年用は、コチラ>
http://www.mikito.biz/archives/49501553.html
<国民の修身 低学年用は、コチラ>
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福澤諭吉は、西洋遊学を通じて、科学技術の重要性を認識していました。それにとどまらず、その重要性を市井の人に理解してもらうために、1868年 (明治元年)に「訓蒙 窮理圖解(きんもう きゅうりずかい)という入門書を出版。これは、英米で出版された物理書、博物書、地理書を参考に、日常の身近な自然現象を解説・図解したもので、日本で最初の科学入門書だそうです。

ポンチ絵がふんだんに挿入されており、とても平易なものです。福沢諭吉先生のような意識の高い人が難しい本を出すだけでなく、一般の人にもわかりやすいこのような本を出されていたことに改めて、尊敬の念を抱きました。

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