前著「嫌われる勇気」は、 135万部のベストセラーになったそうです。いったん、それでアドラーの個人心理学の紹介は完結したのですが、「真の幸福とは何か」を追究した続編です。前者が青本、今度が赤本。

今回の切り口は、教育。前回のアドラーの教えに薫陶を受けた青年は、図書館司書を辞めて教師となった。しかし教育の現場ではアドラー心理学が、全く通用しないという現実。アドラー心理学を机上の空論だ主張とする青年に、哲人は「あなたはアドラーを誤解している」と語ります。

前回の「嫌われる勇気」の内容はとても良かったですが、こちらも同じテーマをちょっと切り口を変えて、取り上げています。そういう意味では内容が重複しているともいえますが、私には、再度、大事なことを丁寧に例示を挙げて説明してくれたように感じました。

<嫌われる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教えは、コチラ>
http://www.mikito.biz/archives/53001532.html
2019-02-07 16.14.13

アドラー個人心理学のベースは、こちらで同じ。
 <行動面の目標>
①自立すること
②社会と調和して暮らせること
<心理面の目標>
①私には能力がある、という意識
②人々はわたしの仲間である、という意識

教育の目標は、こどもたちの「自立」を支援し、促すことです。まずその前提として教える側に立っている人間が、教えられる側に立つ人間のことを敬うことが必須。尊敬なきところには良好な対人関係は生まれないし、良好な関係なくして言葉を届けることはできない。この尊敬の意味は、その人がその人らしく成長発展していけるよう、気遣うこと。尊敬の第一歩は、他者の関心事に関心を寄せること。「他者の目で見て、他者の耳で聞き、他者の心で感じること」。共感は、他者に寄り添うときの技術であり、態度。

これにより生徒一人一人が「自分が自分であること」を受け入れ、自立に向けた勇気を持つようになる。これの勇気を使って自ら歩み出すかどうかは生徒達次第。すなわち「水辺まで連れて行くことはできても、水を呑ませることはできない」、課題の分離です。

生徒を叱ってもいけないし、褒めてもいけない。生徒は以下のような、問題行動の段階を踏む。ただ褒めるだけでは①を求め続けるし、褒めなければやらなくなってしまう。単に叱るのも②をし続けることになりかねないのでダメ。この舵取りをする教育者の果たす役割は大きい。
 ①賞賛の要求
 ②注目喚起
 ③権力争い
 ④復讐
 ⑤無能の証明

自分の人生は、日々の行いは、すべて自分で決定するものだと教えること。そして決めるにあたって必要な材料(例えば知識や経験)があれば、それを教育者が提供していくこと。こどもたちの決定を尊重し、その決断を援助する。そしていつでも援助する用意があることを伝え、近づきすぎない、援助ができる距離で見守る。そのことでこどもたちは、自分の人生は自分で選ぶことができる、という事実を学ぶ。

わたしの価値を他人に決めて貰うのは「依存」。一方、わたしの価値を自らが決定することが「自立」。自らの意思で自らを承認する。

「すべての悩みは対人会計の悩みである」。一方、「すべての喜びもまた、対人関係の喜びである」。交友をすることで、「他者の目で見て、他者の耳で聞き、他者の心で感じること」ができるようになる。人生で子どもたち最初に交友を学び、共同体感覚を掘り起こしていく場所が、学校。

人を愛することは、相手が自分のことをどう思っているかなど関係なしに、ただ愛する。自分から先に愛すること。愛してくれる誰かが現れるのを待っていてはいけない。

運命とは、自らの手で作り上げるもの。わかりもしない将来のことなど考えず、存在するはずもない運命のことなど考えず、ただひたすら、目の前のパートナーと「いま」をダンスする。そばにいる人の手を取り、いまの自分にできる精一杯のダンスを踊ってみる。運命はそこから始まる。愛する勇気、それは幸せになる勇気。「愛し、自立し、人生を選べ」。