著者は、ベストセラー、映画化された「永遠の0」の著者です。「戦争と平和」というタイトルから、トルストイの大河小説が想起されますが、「戦争」と「平和」を考えていくうちに、たまたまひっかけたということでしょうか。著者の主張は極めてシンプル。外交・防衛の世界基準は性悪説が前提という現実を日本国民は知るべきあり、平和ボケに洗脳されていることを認知しようということ。

興味深かったことの一つが、「日本人の短所を指摘し、日本人は戦争には向いていない民族」と結論づけていることです。すなわち名人芸、職人技と呼ばれるものが、日本では珍重され、尊敬の的となり、その領域に到達するプロセスこそが賞賛されるべきものと考える日本人と、平均的な技量でも大量に作れるもの、平均的な技量で容易に操れ、結果を出すことが最も良い考えてきたアメリカ式合理主義との価値観の違いです。

その例示として、戦闘機のような極限の状況で使われる兵器の設計思想の違い、ゼロ戦とグラマンF4Fを挙げています。単機の性能を極限まで高め、個人の卓越した能力を重視する日本の戦術と、個々の能力より複数機での空戦を重視して戦うアメリカの戦術の違い。

これは現代の、ドコモのimodeやガラケーという突出した技術にもかかわらず、世界標準の技術となりえなかったことと通じるのではないでしょうか。

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2018-10-30 08.01.26

最後は、著者の憲法改正しない理由が見当たらないという結論。そもそも日本国憲法は、アメリカが日本という国を、白人国家に逆らえない国にするという目的のために作られたのであり、2600年続く日本の国体や文化・風習が繁栄されておらず、GHQ素案に基づき短期間で作成されたもの。人が決めたものである以上、絶対不変のものではなく、時代にそぐわない憲法は変えるべき。

戦争回避という観点から、モノゴトを考えよう。「もし他国から侵略されたら徹底して戦う」という憲法を持った国と、「他国から侵略されても抵抗しない」という憲法の国と、どちらがより戦争を回避できる可能性が高いか、考えれはおのずと答えが見えてくるのではないか。