京における愚庵禅師ー和尚を慕った人びとーの講演が、2018.10.20にいわき市生涯学習プラザで開催されました。いわきの先人、天田愚庵を顕彰する愚案会の主催です。メインスピーカーは、立命館大学教学部の元次長、松本皎氏です。

松本皎氏は、立命館大学の創始者、中川小十郎氏を深く研究しており、氏によると、中川小十郎氏は鉄眼禅師と称した天田愚庵に心酔していた。そしてかつては京都伏見の愚庵邸の建設にも大きく貢献されたそうです。天田愚庵の墓所といわれる、京都市内の嵯峨鹿王院内に天田愚庵遺骨埋骨碑を建設したのも、中川小十郎氏。

<天田愚庵 110回忌法要は、コチラ>
http://www.mikito.biz/archives/35688480.html
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現在は、いわき市の松ヶ岡公園内に移築されている愚庵邸ですが、かつては京都桃山にありました。当時の貴重な写真アーカイブをご披露いただきました。現在のと比較ができそうです。

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明治34年ころ?に、京都桃山の愚庵邸で開催された歌会。庵の軒先で歌会の参加者と一緒に撮影された貴重な写真です。たった100年ちょっと前にこんな歌会が、個人宅で開かれていたこと自体に驚きです。

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京都市内の嵯峨鹿王院内の天田愚庵遺骨埋骨碑。天田愚庵は、自分の死期を悟り、自分の全財産(といっても庵とわずかな金銭でしたが)を事前に、これまでお世話になった方々に渡し、辞世歌、遺言覚書を残した上で、当日は死装束で床に入ったそうです。遺言のひとつは、自分の墓を建てないこと。当時、残された人々はその遺言をきっちり守って、墓を建設せずに供養をしたそうです。しかしながら、それでは天田愚庵が存在していたこと自体が世間から忘却されてしまうのではないかというおそれから、中川小十郎氏らが一計を案じた。すなわち、天田愚庵の墓としてではなく、天田愚庵の歌碑、兼天田愚庵の親族の碑として建設したのです。ついでに、天田愚庵の遺骨もこちらに埋葬し直したとのこと。いかに中川小十郎氏らが天田愚庵に心酔していたかを示す証左でしょう。

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