【特別記念講演会】フタバスズキリュウ発見から50年、がいわき市石炭・化石館ほるるで開催されました。佐藤たまき氏は、フタバスズキリュウの学名「フタバサウルス・スズキイ」(正確には、Futabasaurus suzukii)の命名者です。フタバスズキリュウが発見されたのは、1968年。日本から本格的な首長竜の化石が発見されたのは珍しく、当時の図鑑には必ず掲載されたものでした。そしてなんといってもマンガ「ドラえもん」のび太の恐竜にピー助として、フタバスズキリュウが登場し、アニメ化されたのは、40才代の日本人なら誰もが知っているはず。

1968年にフタバスズキリュウの化石が発見されて、新種として登録されたのが2006年です。新種登録まで、なぜ38年間も要したのが、その秘密・カラクリを、命名者佐藤たまき氏に語って頂きました。

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新種登録に年月を要したのは、突き詰めて言えば、新種としての要件を満たす特徴を満たす論文を作れなかったということ。特に、新種と認められるためには、他の種と明らかに違う特徴を持ち、かつそれが同一種の特徴であることです。フタバスズキリュウは、世界で1体しか発見されておらず、かつ長い首部分が発見されていないという状況の下で、なんとも証明が難しい。それを佐藤たまき氏が、他の種との比較や、特徴をつぶさに調べて論文にまとめたことで、「フタバサウルス・スズキイ」として新種登録されることになったそうです。

ただ、この論文作成・発表は佐藤たまき氏の個人プレーでなく、以下の日本人考古学者たち先人のつながりがあってこそ(以下、敬称略)。
徳永重康:大正期に、石炭を採掘するため炭田調査したいわき北部の地層を「双葉層」と名づけた
柳澤一郎:双葉層群で、断片的な恐竜の化石を発見・報告
鈴木直:フタバスズキリュウ化石の発見者の平工業高校2年生。上記2人の著作・論文を読んだ上で、双葉層に恐竜化石が出ることを確信していた。
小畠郁生・長谷川善和:当時、国立科学博物館所属。平工業高校2年生だった鈴木直から発見の連絡を受けて、すぐ現地を赴き、調査に協力。科博の予算を使って、4年かけて発掘調査。
真鍋真:小畠郁生の直弟子。現在、国立科学博物館の人気恐竜博士。佐藤たまきにフタバスズキリュウの共同研究を持ちかけたキーパーソン。
佐藤たまき:真鍋真からの誘いを受けて、論文発表、新種学名登録。

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国立科学博物館の日本館3階に展示されている、フタバスズキリュウの骨格標本。現在、いわきの石炭・化石館ほるるに貸し出されて展示されています。現物を見て触って3Dで研究するのが考古学の原点ですが、それを写し取った骨格標本も貴重な研究資料です。なんといって、発掘個体が少ない、さらに全身骨格が発見されることはほとんどない、白亜紀の首長竜です。現物と仮説と想像をミックスさせて、他の論文や他の標本を参照しながら、当時の情景を思い浮かべる作業は、楽しそうでもあり、また膨大な時間・労力を要する作業でもあります。

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フタバスズキリュウのホンモノ、実物の骨化石。世界に唯一、本物です。ここで盗難や紛失があったら、人類の文明の損失かと思うと、ちょっと緊張します。

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石炭・化石館ほるるの1階ホールには、1968年フタバスズキリュウ発見の年の新聞記事や雑誌、当時のファッション等が展示されていました。

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佐藤たまき氏の新著、「フタバスズキリュウ もうひとつの物語」。フタバスズキリュウについては、すでに長谷川善和氏により、発見当時の様子が書かれている、「フタバスズキリュウ発掘物語―八〇〇〇万年の時を経て甦ったクビナガリュウ」が発刊されています。今回の著書は、あくまでも1968年当時に生まれていなかった、佐藤たまき氏によるもの。すなわち、前半は著者の学生時代からフタバスズキリュウ化石に出会うまでの半生、後半が論文に到るまでの詳細なプロセスになっています。特に前半部分は、(極めて数が少ない)理学者、考古学者になるまでのステップが、飾らずに語られていて、そちらの道を目指している学生には、とても参考になると思います。

また、新種登録まで38年もかかった要因もこれを読めば、納得。先人が何もしていないわけではなく、それぞれが努力し、功績を積み上げてきたからこそ、このタイミングで著者が、それらの実績をまとめあげ、かつ著者独自の視点を加えることで、論文が完成、新種登録に到った。まさに、我々の今は、先人たちの残した地に立っているということを、あらためて実感しました。

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