長久保石水は、水戸藩の地理学者です。江戸時代の地理といえば、伊能忠敬の大日本沿海輿地全図があまりに有名ですが、経緯線まで入った最初の日本全図(正式名称は『改正日本輿地路程全図』にほんよちろていぜんず)を作りあげたのは、この長久保石水です。伊能忠敬の日本地図の40年以上も前のことです。伊能忠敬は現地測量を重ねて17年の月日をかけて地図を完成させました。一方の石水のスゴイところは、現地測量なしで、資料は基本的に距離等が書かれた文献のみ。それを読みこみ天文学とハイブリッドさせて、緯度経度を入れた地図を作り上げたしまったところです。にわかには信じられない。

伊能図(いのうず)は幕府に献上・秘図とされ、一般の人の目に触れることはありませんでしたが、長久保石水の赤水図(せきすいず)は、多色刷りの版画で一般販売され、幕末の日本人に大いに利用されたそうです。伊能忠敬も現地測量にあたり必ず石水図を持参したらしい。吉田松陰も赤水図を携えて仙台まで旅し、長州への岐路、茨城県高萩市赤浜にある長久保赤水の墓に参詣したそうです。シーボルト事件では伊能忠敬のつくった日本地図を国外へ持ち出そうとして厳罰に処されましたが、シーボルトはこの石水図の持ち出しには成功したようで、いまでも欧州の博物館などに収蔵されているそうです。薩長軍が奥羽越列藩同盟軍と戦う際にも参照していたはずで、歴史の転換点に重要な役割を果たしたことになります。

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その長久保石水の生まれは、茨城県高萩市です。高萩市の歴史民俗資料館には石水図の1779年の第一版から1840年の第五版まで展示されています。石水の死後30年以上経っても、バージョンアップを重ねながら発行された、日本初の日本地図のベストセラーですね。この方は、農民出身にもかかわらず、学習を継続し、儒学者となり、天文学も学び、この地図を作った。最後は拝命帯刀まで許され、藩主徳川治保の侍講に取り立てられます。そんな立身出世にもかかわらず、生活は質素で、ひたすら学問と地図に命をかけていたらしい。間違いなく、幕末・維新の関係者に有益な情報を提供した方です。

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なんと驚きなことに、樺太、千島も描かれており、これまたなんと樺太とロシアの間の海峡(すなわち間宮海峡)も描かれている!間宮林蔵が発見したことが歴史的事実と教えられてきましたが、それよりも先に長久保石水が(文献状から)発見し地図にしたいたとは。

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現在、韓国が領有権を主張しはじめ、占有してしまった「竹島(当時日本は松島と呼んでいた)」もしっかり地図に描かれており、改めて日本国固有の領土、すなわちこれまで一度も他国に属していない島であることが客観的事実として明らかです。

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長久保石水は、日本地図にとどまらず、世界地図や清国地図も制作しています。その精度は、とても現地実査なしで作られたモノとは到底信じられない。

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その長久保石水が、儒学者として、1751年(宝暦元年)に小名浜の観日亭で春秋左氏伝を講義したとの記録があるようです。伊能図に比べて石水図が極めて優れているのは、海岸線の形のみならず、宿場町の名前や、河川・幹線道路の情報が詳細に記載されていることです。旅のお供という点では、伊能図よりも圧倒的に石水図が優れているわけです。いわき周辺では、平・中之作・小名浜・植田・湯本・四倉・久之浜等の地名が見て取れます。逆に内郷は、まだ石炭の採炭が盛んになる前なので、地名には出てきていないんですね。街の盛衰も感じることができました。
 
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