鶴丸城は、島津藩の居城、鹿児島城の別名です。由来は、屋形の形状が鶴が羽を広げたようであったこと。1601年(慶長6年)に築城され、以来、廃藩置県まで島津氏の居城だったそうです。大大名にもかかわらず、天守閣や大規模な石垣等がなく、防御の城というよりも、政務を執る場所という位置づけだったかも。ここが仮に熊本城のように防御性が高い城であったら、西南戦争の歴史も変わっていたかもしれません。


2018-07-10 17.06.28

築城後、何度も火災にあい、現存している建物はほとんどありません。一方、明治以降、城址は第七高等学校造士館・鹿児島県立大学医学部・鹿児島県歴史資料センター黎明館・鹿児島県立図書館・鹿児島市立美術館・鹿児島県立博物館等の公的建物の敷地として利用されました。

2018-07-10 17.08.05

城のメインの出入り口であった、「御楼門」には、1重2階の櫓があったそうです。当時の写真等をもとにCG画が作成され、このイメージで実際に櫓を再建する予定だそうです。やはり建物があるのとないのとでは、城趾公園に対する愛着度が違うし、外部の人にとってもイメージ作りがしやすい。

2018-07-10 17.22.44

2018-07-10 17.06.18

今でも土地の住所は、「城山町」です。建物はなくとも石垣や疎水、そして西南戦争の際についたといわれる弾痕等、当時の面影を感じることができます。

2018-07-10 17.00.29