いわき地域学会巡検に参加しました。もう58回目の開催だそうです。今回の対象は、笠間神谷陣屋です。夏井芳徳先生を講師に、神谷公民館でまず座学です。笠間神谷陣屋は、現在の平六小にありましたが、この公民館の敷地自体も、笠間神谷陣屋の備蓄用倉庫があった場所とのこと。

<笠間藩神谷陣屋 戊辰戦争奉公碑は、コチラ>
http://www.mikito.biz/archives/47296694.html
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笠間藩は茨城県の笠間市の藩です。その飛び地がいわきにあり、それを管理するために神谷陣屋が置かれ、代官をはじめ約50人程度の藩士が詰めていたらしい。しかし幕末の戊辰戦争時に、磐城平藩が幕府側、笠間藩が官軍についたことから、1968年6月-7月にかけて戦闘状態になります。磐城平藩の藩士は約300名、それに仙台藩の藩士が約400名援軍として磐城平城にいたそうなので、笠間藩神谷陣屋の約50名は孤立無援だったといわれています。

しかし大須賀いんけんの「磐城郡村誌」や笠間藩主牧野家の「復古外記」等によれば、笠間藩神谷陣屋はかなり活躍したようです。北から来る磐城平藩の援軍である米沢藩・相馬藩の300名を阻み、磐城平城に入城させませんでした。また磐城平城が劣勢になったとき、北へ落ち延びるルートである陸前浜街道をふさいだのです。

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戊辰戦争に関しては、勝者である官軍・西軍・明治政府の歴史観で語られることが多いです。しかし、幕府軍の言い分もあるはずで、そのような記録が「戊辰私記」「磐城平藩戊辰實戦記」「磐城戊辰資料 平潟口戦記」等に残されています。このような資料からわかることは、戊辰戦争が単なる倒幕し、新政府ができたという単純なものではないということ。たった150年前に、この日本で内戦が勃発し、同国民同士で血を流したという事実を忘れてはならないと思います。

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