さわきやさん主催の山形長井市の鈴木酒造酒蔵見学会ツアーに参加しました。鈴木酒造さんは、磐城寿(いわきことぶき)の銘柄名を主力として、浪江町の請戸地区にあった小規模な酒蔵です。もともとは、江戸末期に創業し、漁師の大漁を祝う「祝酒」として愛されていたらしい。しかし東日本大震災の津波で酒蔵のすべてを流されてしまいました(高さ3mほどの堤防をはさみ、目の前には太平洋が広がるという「日本一海岸に近い酒蔵」だったらしい・・・)。しかし、そこから再起!山形長井市で、廃業予定の酒蔵をまるごと再生して、「鈴木酒造 長井蔵」として再生したんです。これだけ聞いただけでも、なんという壮絶な、そして感動的な人生でしょう。
酒蔵の看板も、当然すべて流されてしまいましたが、その看板も復刻!
酒蔵につるされる、杉玉・酒林(さかばやし)は、毎年赤井岳のスギの葉を集めてボール状にして制作するそうです。基本的には酒蔵自ら作りますが、震災後は、さわきやさんが自ら製作して鈴木酒造さんに毎年寄贈しているそうです。こういう地道なそして心の通じる関係性の構築が、販売・仕入れルートの強固さに直結するのでしょうね。
オリジナルの半纏は少ない数しか作りませんが、当然さわきやさんはお持ちなわけです。
この長井の酒蔵は、もともと東洋酒造という酒蔵で「忍ぶ川」という銘柄で販売していましたが、後継者不足で廃業を検討していたところ、東日本大震災発生、そして鈴木酒造さんからの運営提案があり、製造設備一式を鈴木酒造さんにお任せすることになったそうです。そうはいっても酒の製造方法には、かなりの相違があり、製造設備の多くは、経営が変わってからはほとんどが入れ替えになったそう。
酒造りにはもっとも大事なもののひとつが蔵付きの「酵母」。これがその蔵のオリジナル性の決め手らしいです。本来、津波被害ですべて流されていたはずの酵母が、実は福島県の試験場に分析のため預けてあったのが残っていたそうです。その酵母を使って、震災のあった年の12月には「磐城壽」の銘柄で酒を送り出しました。
家族経営(実質4人で酒の経営・製造・販売を行っているそうです)で、小ロットの酒を(真夏以外の季節)年中、ずっと作りつづけています。建物全体は温度調節しませんが、醸造する部屋(ずっと7-8度維持!肌寒い!)、麹を作る部屋(ずっと30℃維持!)は、エアコン・調湿器で、温度・湿度とも年中コントロールされていました。
これが「もやし」。玄米に麹菌をつけて増やしたものです。試食させていただきましたが、玄米の香り+アルファで、強烈な香りや味覚は感じられませんでした。
醸造する部屋は、ずっと7-8度維持されるため肌寒いです。人間の菌をできるだけ排除するために、マスク等着用します。
熟成は、もと・添え・なか・とめ。そして発酵させ、その間毎日櫂入れをして(よく攪拌して)、30日間で完成。この完成したもろみを、次の工程で絞り出します。
熟成中のタンクは、温めたり冷やしたり、一定の温度を保ちます。
「舟」という機械で、酒を絞り出す機械です。2日間かけてゆっくり絞り出す。
いろんな種類の「磐城寿」が勢ぞろい。東洋酒造の主要銘柄であった「一生幸福」も登場。
酒をつくっているのは、地内に湧く井水です。長井のまちなかを流れる小川は、とても澄んでいます。川にしか自生しない梅花藻(ばいかも)を市街地の至る所で見ることが出来ます。この水の元となるのが、水源地であるブナ林に降った雪なんだそうです。
福幸(ふっこう)ファームさんでは、ブナ林に降った雪を水源地とするお水で、酒米を作ろうとしています。酒も米も同じお水で作れば、そこのストーリーが生まれるということまで、考えての栽培です。聞けば、福幸ファームを運営されているのは、いわき市から避難されて、長井市で農業をされている方だそうです。これまた奇遇というか、ストーリーがありますね。