東京都心の市ヶ谷にある防衛省の敷地は25ヘクタールあり、自衛官が約1万人勤務しています。防衛省正門には、厳しいセキュリティチェックが行われています。(事前に申し込みをしておけば)一般向けに見学を受け入れています。
 
35

いまでは「市ヶ谷記念館」と呼ばれるこの建物は、旧陸軍士官学校本部として建造され、庁舎建設に伴い移設・復元された旧1号館です。大本営陸軍部、陸軍省、参謀本部の使用、米軍による接収を経て、陸上自衛隊東部方面総監部などが置かれました。三島が自衛隊に決起を促すために立ったのが、この玄関上のバルコニー。窓の奥が、後に自決した部屋です。

51

極東国際軍事裁判、いわゆる東京裁判で法廷として使われた大講堂です。裁判時には、右手に高い亜ひな壇が設置され裁判官らが座り、左手に低いひな壇が設置され被告人が座って、対峙しました。VIPは裁判を横のひな壇から、一般傍聴人は2階から傍聴したそうです。
 
42
 
ホールに置かれたショーケースの中には、軍服や刀、千人針布など戦争当時の遺品を数多く展示されています。写真は、終戦時の陸軍大臣、阿南惟幾氏の冬服現物です(夏服は、割腹自殺時に着用していた)。映画「映画 日本で一番長い日」で役所広司さんが演じる阿南惟幾陸軍大臣は、決起にはやる青年将校らと、戦争終結にまとめたい鈴木貫太郎首相、天皇陛下との板挟みの苦悩は名優でした。この市ヶ谷の陸軍省と皇居とを何度も往復する中で、何を思っていたか。
 
22

太平洋戦争の激戦地である硫黄島で指揮を執った栗林忠道中将の見事な画手紙など貴重な品々も拝観できます。栗林中将の自筆の手紙は、「栗林忠道」と印刷されたオリジナルの便せんに書かれていました。当時も今も、文筆家と呼ばれる方々は、オリジナルの用紙を作るのですね。

17

床に敷き詰められているのは、30センチ角のナラ材約7000枚。その大部分が創建当時の部材を、その位置も再現した上で、再利用しているそうです。

35

玄関には、三島由紀夫のバルコニーでの大演説のバックとなっていた旧1号館の大時計と桜のオブジェのほか、防衛庁当時の中曽根康弘首相が揮毫した木製看板が置かれています。

02

48

市ヶ谷記念館の2階に三島由紀夫が割腹自殺した旧陸軍大臣室(前陸自東方総監室)があります。ドアには、籠城した際に駆け付けた幕僚らと応戦した時の三島由紀夫による刀傷が、数カ所残されています。ここでクーデターを促す演説をした直後に割腹自決した。

21

儀仗広場。

41

都内最大規模のヘリポートを持つ庁舎A棟は19階建て。防衛大臣をはじめ、統合幕僚監部、陸海空の幕僚監部が入っているそうです。

52

約1万人の自衛官らが勤務するこの地ですが、敷地内の隊舎に起居するのは800名強だそうです。本格的な実戦部隊が配備されている訳ではありませんが、皇居・霞ヶ関・国会を守る対空ミサイルの運用はできるのでしょうか。それにしても25ヘクタールもある敷地内には、厚生棟もあり、食堂・散髪・文具・コンビニ・ATM・お酒等、生活に必要なものはひととおり揃いそうです。流石に、総合スーパーや風俗店はありませんが。

24

江戸時代末期には、尾張徳川家5万坪の上屋敷だったこの地。その後、旧陸軍士官学校本部・大本営陸軍部・陸軍省・参謀本部・米軍による接収、陸上自衛隊と、さまざまな歴史を見てきたはず。

メモリアルゾーンには、自衛隊殉職者として1900柱を越える方々が慰霊されています。平成28年度だけでも31名が殉職されたそうです。ぜひ現物を見ることをオススメします。きっと、心に刺さるものがあるはず。

16