朝霞駐屯地は、練馬区、朝霞市、和光市、新座市にまたがる陸上自衛隊の駐屯地です。都心から約20km、敷地総面積90万㎡の駐屯地には、約3000名の実戦部隊が配備中であり、首都圏防衛の中枢です。その一角に陸上自衛隊広報センター、愛称りっくんらんどがあります。入館無料の陸上自衛隊最大の広報施設です。ここでは陸上自衛隊の災害派遣活動や海外のる国際平和協力活動などが、現物・写真・資料で紹介されています。

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2003年から2009年までの自衛隊のイラク派遣は、自衛隊創設以来初めて、海外の戦闘地域付近での陸上部隊活動でした。その宿営地はイラク南部の都市サマーワの宿営地。当時の宿営地の看板と、隊旗の現物が展示されていました。
 
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屋内には、ヘリコプター、戦車、パラシュート、装備品などが展示されていますが、屋内でなんといっても目を引くのは、攻撃ヘリコプター「AH-1S」。飛行射撃体験ができるフライトシュミレーターもあり、約2分の間、油圧サスによる右に左に傾斜や振動は、本当に攻撃ヘリに乗車しているようでした。
 
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対戦車用のロケット砲と20mm弾は、迫力があります。

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陸上自衛隊の空挺部隊の実録レンジャー訓練のDVDを見ました。厳しい訓練です。

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攻撃ヘリの座席は限りなく狭い。そしてその視野は限りなく広い。

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対戦車シミュレータは、なぜか大人に人気。

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最新鋭戦闘車両「10式戦車」の現役の現物!スラローム走行しながら正確な射撃ができるとして、世界の注目を集めている最新式車両です。

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移動組み立て式作戦指揮所。鉄板を組み立てて、その上に土嚢をかぶせれば、即席の地下指揮所になります。

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この地は昭和16年から終戦まで陸軍予科士官学校が置かれていました。昭和18年には昭和天皇が行幸し、ここを振武臺(振武台)と命名したそうです。

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陸軍予科士官学校は、試験合格者や下士官、陸軍幼年学校からの卒業生などが、終戦までの累計で1万5000名もの生徒が学んでいたそうです。ここを卒業後は、二ヶ月間の見習士官を経て、少尉として配属されました。何名かの皇族もこちらに進学して学んだそうですが、流石に宿泊は一般隊員とは別で、皇族用宿舎で起居しました。こちらの建物は米軍キャンプ座間(旧帝国陸軍の士官学校「相武台」)にあった陸軍士官学校の皇族用宿舎を自衛隊員の手によって解体し、朝霞に移設したものだそうです。

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振武台記念館(振武臺記念館)と名付けられた建物は、時間限定公開です。内部には、予科士官学校で使われていた教科書や制服、資料等、非常に貴重なものがたくさん展示してありました。写真撮影禁止です。

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昭和20年から昭和25年までこの地に駐屯していた米陸軍第1騎兵師団が残していった記念碑。キャンプ・ドレイクと呼ばれた米軍基地内には、レクリエーション施設、士官クラブや将校クラブ、映画館などがあり、家族向け居住施設などもあり、周辺は大きく賑わったそうです。

米兵相手の特別女子従業員の募集が行なわれ、近隣の成増にも50名程度の「慰安所」ができたそうです(翌年には消滅したそうですが)。また最盛期には、パンパンと呼ばれた2000人もの売春婦が、川越街道を埋め尽くしたそうです。
 
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戦後だいぶたっても、米軍はなかなか基地返還に応じませんでしたが、チャンスは1964年の東京オリンピックでした。キャンプ朝霞を選手村として、一時利用するため、日本に返還されるのではないかという噂があったからです。結局、選手村には選ばれませんでしたが、これをきっかけに返還協議が進み、いまでは、「陸上自衛隊朝霞駐屯地」だけでなく、理化学研究所・司法研修所、裁判所職員総合研修所、大規模団地・公園等として利用されています。先人の歩みを直接感じることができる場所でした。