理化学研究所百年企画展が、上野の国立科学博物館で開催されています。理研は、日本で唯一の自然科学の総合研究所として、物理学、工学、化学、計算科学、生物学、医科学などに及ぶ広い分野で研究を進めています。現在は、和光市にある研究所の一般公開にいったことがありますが、その研究範囲の広さに驚きました。このような基礎研究を地道にやっていることが、日本の科学技術の底を支えています。

<理化学研究所 一般公開は、コチラ>
http://www.mikito.biz/archives/47405808.html
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さまざまな研究の中で、生まれたのがアルマイトという金属。理研により命名され、特許も取得。そして、世の中には、お弁当箱用の金属として広く使われました。

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また、理研の財政に大きく寄与したのが、「理研ヴィタミン」。理研が、世界で初めてビタミンAの分離と抽出に成功し、製品化。理研の自主生産でを販売したことから、粗利率が異常に高く、またヒットしたことから、理研に莫大な利益をもたらしたといわれています。
 
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戦前の日本の物理学は世界トップレベルでした。それを牽引したのが、第4代理化学研究所所長の仁科芳雄氏です。円形加速器サイクロトロンの研究をし、理研が建設した60インチのサイクロトロンは、実際、世界最大でした。それが発展し、原子力の研究がおこなわれたといわれています(この開発は、仁科の「に」から「ニ号研究」と呼ばれたらしい)。

結局、200トンもあるこの世界最大のサイクロトロンは、日本の原子力開発を恐れた、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ/SCAP)によって、切断・運搬された上で、東京湾に投棄されました。この科学技術を後退させる行為に対して、当時、科学者の間で密かな批判はあったものの、予定通り、実行されました。

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1917年(大正6年)に渋沢栄一を設立者総代として設立された、理化学研究所。それが明治期の日本の科学技術の進展、戦中の変遷、戦後のGHQによる技術解体。そして戦後の焼け野原からの、技術の積み上げの再出発。現代における理研の活動には、先人達の歩み、知恵、汗などが詰まっています。
 
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