神谷・草野地区にある澤村神社を訪問しました。江戸時代に、小川江筋を開削した澤村勘兵衞勝爲を祀った神社です。いってしまえば、澤村勘兵衞は、水路作りを指揮した(だけの)下級武士。そんな人が神社に祀られるくらい、地域に熱望された用水路の開削であったし、その恩恵は下流域の多くの農家に感謝されたということでしょう。神社は、明治9年に創祀だそうです。

<小川江筋は、コチラ>
http://www.mikito.biz/archives/30362258.html
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慶安年間の頃、いわきの夏井川から北の地域は、農業用水に恵まれず、おりしもの干ばつで農民はくるしんでいました。時の磐城平藩藩主・内藤忠興は、藩士・澤村勘兵衞勝爲に命じ、領内を検視させました。夏井川の水を上流で取水し、北側の山裾を迂回させながら流すことで、いままで水が行き渡らなかった地域にも配水できることに着目した澤村勘兵衞が、許可を得て夏井川の用水建設に着工。苦労の末に用水は完成したが、奸臣によって不実の罪を着せられて死罪を命じられ、明暦元年、割腹して果てた。享年43歳。
この開削がいかに大変だったかのお話しは「血流記」という小説が詳しいです。

<血流記は、コチラ>
http://www.mikito.biz/archives/30033098.html 
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神社の拝殿の中には、天狗?と思しき面がいくつか掲げられていました。

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境内には「小川江筋通水350周年記念」の巨大な石碑がありました。神社創建当時だけでなく、その後も氏子?らの寄附等が続いていることの証です。

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しっかりと本殿もありました。この中に澤村さんのご神体がいるのでしょう。

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境内はきれいに掃き清められていました。聞くと、複数の近隣の住民の方々が、交代で毎朝、清掃活動を無償で行っていらっしゃるとのこと。宮司や神社総代がやるならともかく、一般の住民が参加しているところが、この神社が愛されている証です。

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境内には立派な社務所がありました。

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高台にある神社の下には、小川江筋そのものが流れています!まったく澤村さんの霊を祀る神社の地としては、最適な場所だと思います。

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そしてこの眺め!小川江筋を通ってきた道が、この地域の田んぼを満たし、米作りを支えています。鳥居の上からの一面、稲穂に満ちた田んぼを見たら、澤村さんもさぞや感慨深いでしょう。

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堂々とした鳥居、地域の誇りです。

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階段が苦手な方、自動車でお越しの方には、東側裏手より別の参道がありますので、こちらが便利かも。

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