アファンの森を運営されているC・Wニコルさんに、長野黒姫でお会いしました。アファンとはウェールズ語で"風の通るところ"の意味。アファンの森とは、荒れ果てた人工林を、明るい森として再生させ、たくさんの生き物の住処として、動植物の多様性を確保し、保全しているところです。

<アファンの森の物語 C・Wニコル著は、コチラ>
http://www.mikito.biz/archives/40887022.html
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1986年から、地元の林業家松木信義氏とともに、荒れ放題だった森の間伐を行いました。地面を覆う笹や薮やツル植物を切り払うことで、充分な陽の光が当たるようになり、また風通しが良くなりました。これで新しい若木が育つようになりました。また一定の実をつける植物は残すことで、在来の動植物が棲息しやすくなりました。そんな活動を30年以上も続け、いまでは10万坪を超える森林を保有するまでになり、近隣の国有林の管理も任されているそうです。

2010年には、活動の拠点となるアファンセンターが完成しました。床、天井、壁には長野県産の杉の間伐材を中心にすべて国産材を使用し、合板や接着剤を一切使わず、極力「土に還る」素材で作られているそうです。
 
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大きな薪ストーブが設置されていました。もちろん薪は、アファンの森から取れる間伐材を、乾燥させて使っています。

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椅子や机は、すべて木製。多くは、アファンの森の間伐材、馬で搬出して(馬搬、ばはんというらしい)、製材した木材を、家具職人につくってもらったものとのこと。コストは一脚数万円とのことですが、それもすべて寄付者の浄財が原資となっています。

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机や椅子には、すべて寄贈者(個人・企業とも)の名前が刻印されています。決して安くはない、手作りの木製家具です。聞けば年間数億円におよぶ運営費の多くが、寄贈者からの浄財だそうです。明るい森の実現に賛同する方が多くいらっしゃいます。支援者数は、個人約600人、法人約20社にものぼるとのこと。

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アファンの森の活動は、いろいろなところから注目されており、C・Wニコルさんはイギリスエリザベス女王から叙勲を受けていますイギリスのチャールズ皇太子も実際にアファンの森を訪問され、ニコルさんと一緒に森を散策されたそうです。

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2002年からは、一般財団法人C.W.ニコル・アファンの森財団として活動されています。

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一般財団法人C.W.ニコル・アファンの森財団の理事のひとり、吉田寛氏にご案内いただきました。吉田寛は公認会計士の先輩であり、また公会計研究所で、公会計の研究の第一人者です。

<吉田寛氏は、コチラ>
http://www.mikito.biz/archives/34388543.html
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アファンの森をひとことで表すと、人の手が入った(管理された)明るい、広葉樹の森です。入ってみると、本当に、太陽の光が明るい!森林というと、暗い湿ったイメージがありますが、その対極です。人が歩くところには、間伐材から作ったウッドチップが敷かれています。ウッドチップのよいところは、3年程度で朽ち果てて地に還ること、そしてそこ以外を人間が通らなくなるので、人間と自然の棲み分けが無秩序にならないことです。

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アファンの森は、私有地です。山というと、愛好家が自由に立入って、山菜をとったり、釣りをしたり、登山をしたりするイメージがありますが、こちらは原則、部外者の立入禁止です。基本的には、アファンの森の活動に賛同して頂ける方に対して、事前に人数を制限して、その自然を楽しんでもらっています。
 
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現在の、アファンの森の全体像です。黒姫山・飯綱山の山麓に広がる、広葉樹の森を、民間から購入し、直接保有・管理しており、毎年、徐々にその面積を拡大しています。現在、その広さは約10万坪。近隣の国有林(スギ棟の針葉樹)の管理も受託し、針葉樹も明るい森に変えようとしています。

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チャールズ皇太子もお茶を飲んで休息した、サウンドシェルター。木の表皮で覆った小屋の中に座って、森の音と静かに対話すると、小鳥を始めとする森の声が聞こえてきました。

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春のアファンの森には、タラの芽、コシアブラ、コゴミ、つくし等が、たくさん芽を出していました。

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林業家 松木信義氏の小屋。現在の林業は、大規模に機械化し、伐採を外注・集約化することで伐採コストを下げようとする方向が主流となっています。一方、小規模に簡素な機械や仕組みだけで、自ら伐採(自伐的林業)することで、オカネをかけないで管理していこうとするもの。オカネをかけず、自ら伐採することで、林業を維持していこうとするのも、ひとつの考え方です。薪や木炭等を、みずから生み出しています。

<伐採現場コスト削減の救世主ハーベスターは、コチラ>
http://www.mikito.biz/archives/45860897.html
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現在のアファンの森からは、想像も出来ませんが、当時、この周辺は暗くて「幽霊森」と呼ばれていたそうです。それがすっかり、生物多様性がなされた、明るい森に変貌を遂げています。これまでの30年間も続いた、強い理念、情熱、時間、オカネ等に、圧倒されました。脱帽です。

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