国立研究開発法人理化学研究所、通称、理研は、埼玉県和光市に本部を持つ自然科学系総合研究所です。小保方さんのSTAP細胞の際に話題にのぼったところですが、これまでに湯川秀樹、朝永振一郎、仁科芳雄など多くの優秀な科学者を輩出しました。その研究所の本部が、現在では年に1回、一般公開されています。

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研究本部棟。数百ある、それぞれの部屋が研究室になっていて、それぞれ世界最先端のテーマを研究しています。

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理研の財政的な屋台骨を支えたのは、政府からの研究補助金であることは当然ですが、「理研ビタミン」というビタミンAを発売し、大きなCashを得たことから、豊富な研究費があり、基礎研究者にとって楽園のような場所であったそうです。当時、大ヒットした「理研ヴィタミン」のビン、販売ケースが展示されていました。

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1937年に日本で初めて、世界でも2番目に、磁極直径65cmのサイクロトロンを完成させます。サイクロトロンとは、電磁石を用いて、イオンを螺旋状に加速する装置で、原子核の人工破壊、放射性同位体の製造などに利用される装置です。

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そして1943年には、60インチ、220トンのサイクロトロンを完成させます。まちがいなく、世界最先端の研究施設でした。

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しかし敗戦。GHQにより原子爆弾研究と勘違いされた、理化学研究所の核研究サイクロトロンも破壊されてしまいました。そのサイクロトロンは、切断され、海中投棄されました。その海中投棄される瞬間の写真がのこされていました。なお、1947年1月に極東委員会が原子力研究の禁止を決議し、米軍の日本占領が終了するまで、日本の原子核の研究は禁止されました。

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その海中投棄された、サイクロトロンの模型が屋外展示されていました。当時の世界最先端の核技術、そしてそれを怖れた米英による、核研究の禁止等、当時の緊迫した世界情勢の一端を感じます。

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そもそも、理化学研究所は、1917年に渋沢栄一を設立者総代として作られました。資金は、皇室・政府からの補助金や、民間からの寄付金を基に、東京都文京区駒込に「財団法人理化学研究所」を設立したことに始まります。ちょうど100年前なんですね。
 
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研究室の最先端の研究の一部を、最先端の研究者が自ら、解説してくれます。見学者のほとんどは、科学に対する素人、なかんずく、小学生等のあまりに素朴な質問に対する、研究者のやりとりは面白い。まったくレベルがかみ合っていないのですが、それでも「何かを知りたい」という見学者と、「自分たちがやっていることを知って欲しい」という研究者との間の目的は、一緒です。心が通じれば、8割方、うまくいくはず。

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光ケーブルの仕組みを学びました。本で読んだことも、実際に光ケーブルの伝送の様子を、自分の目で見て、触ってみて、考えることで、腹に落ちることがたくさんあるはず。

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最先端の研究発表を見ることができる機会があることは、一般人にとってありがたい。また邪推ではありますが、最先端の研究者にとっても、自分たちの研究成果(おそらく世間一般目線での日の目を見る研究成果は、非常に少ない)を、家族を含めた一般大衆に見て、感じてもらう機会は、自分たちの誇り、引いてはこれからの研究インセンティブになるのではないでしょうか。そして見学者が、理化学研究所の大きな応援団となるのではないか。

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