「富岡町震災遺産展~複合災害とこれから~」が、いわき明星大で展示されています。富岡町は、原発事故の影響で現在も全町避難が続いています。会場では、津波で被災したパトカーの車両部品やJR富岡駅の駅名看板、同駅近くにあった美容室の震災直後に止まった時計、町のジオラマなど約100点が展示されていました。また、当時のまちなみが、巨大ジオラマで再現されていました。これは、グーグルマップを利用して神戸大学生らが制作したものらしい。それを避難所や仮設住宅に持ち込んで、商店名や住民名を記した小旗を刺していったそうです。単なるジオラマから、人の息づかいを感じる、当時に思いを馳せることができる、素晴らしい展示でした。

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遠くからは、商店名はわかりませんが、近づいて良く見ると、それぞれのお宅に商店名や個人名が記されています。半透明の小旗で作っているのも、視界の邪魔にならず、良いアイデアだと思います。10㎡ていどのジオラマが2つ制作されています。いずれも1000枚を超える小旗が刺さっていて、人の手がかかっていることがダイレクトに伝わってきました。

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富岡漁港近くで、津波に流されたパトカー、双葉31号の一部が展示されていました。震災時にこのパトカーで町民の避難誘導にあたっていた2名の警察官(増子洋一氏41才と、佐藤雄太氏24才)が、殉職したパトカーです。当時は、被災した現場に置かれていたのですが、その後、本体は町内の岡内東児童公園に移され、ドアやバンパー等が展示物として各地をまわっているようです。本来、現地展示が望ましいとは思いますが、土地のかさ上げ工事・区画整理等で移動せざるをえなくなってしまったのでしょう。

<震災遺構パトカーは、コチラ>
http://www.mikito.biz/archives/39453100.html
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駅前の「ミチ美容室」に設置されていた、震災当時の時刻で止まったままの屋外時計の展示もありました。これも建物取壊しにともなって、廃棄されるところ、「震災遺構」として保存されたものです。

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国道6号線の歩道橋に掲げられた「富岡は負けん!」の横断幕。これは2011年8月の一時立入が許可されたときに、町民の平山勉氏が、「震災に負けないで強く生きて欲しい」との願いから、制作されたものです。なお、私のパソコンにもこの「富岡は負けん!」のステッカーを貼らせていただいています。

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JR富岡駅は、津波で駅舎が完全に喪失して、ホームと改札の残骸だけが残されていました。まちの再建活動に伴って、その残骸もついに撤去されてしまったそうです。

<被災した富岡駅は、コチラ>
http://www.mikito.biz/archives/39441989.html
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ゴーグルを装着すると、避難指示後から時が止まったままの町災害対策本部、被災当時の富岡駅などの様子を3次元の仮想映像で疑似体験できるシステムも設置されていました。上記いずれも、復興活動に伴って、現在では、撤去され、被災当時の様子を現地で見ることはできなくなっています。

しかしデジタルデータとして保存しておいたことで、専用の空間でゴーグルを装着すると3D映像で震災遺構が再現され、実際にその場にいるような体験ができます。三次元計測データを使って、目の前で等倍で映し出し、仮想空間になるMR(Mixed Reality)という技術だそうです。実際に体験してみましたが、自分が歩いて近づいて大きく見ることもできスゴイ技術です。 

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かなり高価な機械・システムだそうですが、技術を駆使して、当時のデータを保存、展示していくことは、復興活動を加速化する一方、記憶を忘れないために、非常に大事なことだと思います。

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