南相馬市では、いわき市と同様、津波被災者のための、災害公営住宅が各地で建設されています。そのいくつかが、「相馬井戸端長屋」と呼ばれる高齢者向けの共同住宅です。そのデザインとコンセプトが秀逸でした。

まず外観。和風でクラシカルな見た目は、実は、「相馬市 中心市街地公共建築物デザインコード」に則ったものです。このデザインコードは、公共建築物について、旧中村藩の城下町としての風情ある街並みとなるよう、屋根の形状や外壁の色等の視覚的な約束事です。具体的には、瓦・白壁・腰壁・引き戸等です。

すでに震災前から、相馬城前の中村第一小学校が、このデザインコードに従って建築されており、この相馬井戸端長屋、そして現在建築中の市庁舎も、このデザインになるので、かなり街なかは意匠の統一感がでてくると思います。

31

そして財源。平時の公営住宅の建設費用に対する国の費用負担は、平常時なら建設費の半分程度ですが、大規模な災害(激甚災害)が発生した場合は「4分の3」に引き上げられます。しかし、東日本大震災では国の負担割合を「8分の7」まで引き上げました。これにより自治体(いわき市や相馬市)の財政負担は、建設費の8分の1ですみます。一方、国の関与が強いことから、入居要件や建設コスト、デザイン等も、国の意向に従わねばなりません。

にも関わらず、独創的なデザインと、高齢者介護を前提とした設計思想を取り込んだ集合住宅を実現したことは、賞賛すべきと思います。聞くところによると、立谷市長が震災前から思索していた、デザイン・設計とのこと。それにしても、震災後の時間やスタッフの余裕がない中で、国を説得して、思いを実現したことは素晴らしいと思います。さらに、その自治体1/8負担について、直接、台湾赤十字をコンタクトをとり、ダイレクトのその支援を受け、この相馬井戸端長屋の建設に使ったと言うことも、震災直後の、適時の対外アピールと、しなやかな対応、迅速な判断があってのことです。実際、相馬井戸端長屋の一棟は、100%民間の支援で建設されたそうです。

55

看板も「市営狐穴団地(きつねあなだんち) 相馬井戸端長屋」になっています。入居者12名のほとんどが共用スペースに出てきて頂き、ヒアリングに参加して下さいました。当初、相馬市役所住宅課様からのご案内と聞いていましたが、実際には、定期的に巡回して下さっている相馬中央病院の森田医師、南相馬中央病院で初期研修中の医師、そして入居者様らと、和やかに懇談させていただきました。

入居者は、すべて近隣地区での津波被災者です。特筆すべきは平均年齢80歳です。いつ地域包括ケアのお世話になるかわからない世代です。毎日、この共用スペースで、ラジオ体操・掃除・朝食・昼食を、みんなで一緒にやるそうです。もちろん参加するかどうかは自由ですが、参加しないと「今日はどうした?」と、気に掛けてもらえる。

05

小上がりの和室もあります。広い共用スペースがですが、いざというときは高齢者用の避難所としての機能も持っているとのこと。

20

ほとんどのことは自室でできるのですが、唯一外に出なければならないのが、洗濯です。個室には洗濯パンをあえて設置しています。その心は、洗濯に必ず外出しなければならない、しかも洗濯機は6個しかないので、必ず時間帯のシェアが必要。そこに会話や交渉が生まれ、人と人とのつながりができるという仕組みです。江戸時代は、井戸端で共同で洗濯していました。そこからのネーミングが、「相馬井戸端長屋」というわけです。

36

市営住宅ですから、基本は個室 2DK(6畳・4.5畳)です。エアコンやIHクッキングヒータも、当初から附属しているので、ほとんどを自分の部屋で過ごすことができます。後付けのスプリンクラーは、モリタ宮田工業株式会社様からの寄贈だそうです。聞けば、この取組みの視察に、安倍首相や麻生副総理も来ているそうです。当然プレス発表になりますから、それを見て、相馬井戸端長屋の取組みに賛同した会社が寄附するのが後をたたない。

40

高齢者用に、もう一室は和室。高齢者・車椅子利用者のために完璧な設備かというと、やや難点もありますが、総じて段差のない使い安い、ユニバーサル設計思想を感じます。

52

ユニットバス。洗い場はつかまり棒もあるし、車椅子利用も考えて広めにとってあります。

51

視察の最後に記念撮影。通常、視察させて頂く場合は、こちらの勉強なので菓子折等を持参していくのが通例なのかもしれませんが、今回は、逆に、自家製梅ジュース等をご馳走になってしまい、恐縮でした。 

56