幸せな老後の必要条件は、「衣食住」と「排泄」の確保であり、十分条件は、他者とのつながりの中での「居場所」の確保である。名言です。

医療現場の崩壊を鋭く切り取って著書とした、元虎の門病院 泌尿器科部長の小松秀樹による新著です。医療崩壊から、一歩先に進んで、地域包括ケア、看取りのあり方の提言。

<医療崩壊 「立ち去り型サボタージュ」とは何かは、コチラ>
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各章は、気鋭の臨床医による文責です。辛辣な比喩表現での現状の矛盾を表していました。

・北里大学病院トータルサポートセンター長 小野沢滋氏
医師は外来に来た女性に「将来心筋梗塞になるかもしれませんよ」と不安を煽り、定期的な外来受診や食事制限を勧め、ありがたい薬を処方します。だるいといわれれば、効果がないと知りつつ、お守り代わりのビタミン剤を渡すのです。人間を研究している宇宙人がいたら、たいした病気でもないのに患者の不安を煽り、何の反省もなく、15種類もの薬を処方を平気で処方し続けている医師と、まじない師とを見分けることは困難でしょう。

・国際医療福祉大学大学院教授 高橋泰氏
A愛媛県大三島町(高齢化が進むにもかかわらず、医療も介護サービスの乏しい田舎)と、B熊本県相良村(高齢化率・独居率とも低く、充実した医療・介護サービスの田舎)の地域差研究
Aでは自立・死亡が多いこと、Bでは軽度障害が多く、それが維持されることがわかった。医療・介護が少ないAでは障がいが発生した場合、その状況に耐えきれず、死亡しているため、機能障害が残りにくい。(悲惨なことかもしれないけれど)ピンピンコロリが実現できていることになる。さらにいうなら、Aでは軽度障害から自立に戻る確率が、Bよりも高かった。
これまでは国はBを目指してきたが、激増する高齢者に対して十分な医療・介護を提供する余裕がなくなってきている。社会全体がAに向かう(適切に医療・介護の提供量が減らされる)のが不可避であるなら、できる限り自立を続ける覚悟と、食べられなくなったときに、自然死を受け容れる覚悟を持つことが重要になります。
 
社会保障費が激増している今、上記意見は傾聴に値すると思います。 特に自然死を受け容れるコモンセンスができるかどうか、医療関係者以外の一般市民の感覚が問われています。