海上自衛隊幹部候補生学校、第1術科学校を視察させていただきました。ここは元の帝国海軍兵学校です。現在在籍している9,500名の海上自衛隊幹部の全員(!)がここで研修を受けた卒業生です。太平洋戦争直後に連合国軍に接収されましたが、現在は、海上自衛隊幹部候補生学校として毎年500名近い幹部候補生を育成しています。戦前から継承する有形、無形の歴史と伝統を継承して今日に至っています。 

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旧帝国海軍時代から使用している、2000名収容の大講堂。現代も当時も、幹部候補生の入学・卒業時の節目に使われている建物です。スピーカーの設備は一切無し。それでも教官の声がいきわたるような設計になっているそうです。実際、御話いただいた自衛官の方は、地声のみでの説明でした。

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1917年建造の大講堂は、海軍兵学校時代から学生の入学式、卒業式等の節目で使用されてきました。石材は、瀬戸内海産の御影石で、約100年前の建物とは思えないほど、きちっと作られていました。

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海上自衛隊を担う士官の卵たちの教育を担任する学校長にご案内いただきました。学校長のランクは「将補」。旧海軍の中将と少将の間くらいにあたる役職だそうです(厳密ではないそうですが)。

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学校のシンボルでもある、通称「赤レンガ」とよばれる幹部候補生学校の庁舎は、旧海軍士官の登竜門であった海軍兵学校の建物をそのまま使用しているそうです。映画「坂の上の雲」でも登場した建物です。明治26年に建造された建物は、リニューアルを経て今でも教室として使用されています。長さ144mの建物は、ちょうど自衛艦の大きさと同じくらい(ちなみに戦艦大和は260m超)らしい。天井は6m近くあります。

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「海上自衛隊 幹部候補生幹部生学校」の看板です。70年前には海軍兵学校と呼ばれていた建物です。陸軍・空軍も国を守る役割は同じですが、海軍は船が沈めば一蓮托生という点で、陸軍・海軍とは違う面もあります。校長がおっしゃっていましたが「海軍は、スマートでなければならない」。現在の海上自衛隊は、旧海軍の歴史と精神をそのまま引き継いでいるといっていいと思います。

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旧海軍の戦艦 金剛(自衛隊のイージス艦 金剛ではありません)で使われていた床材を移築して、学校のエントランスホールの床に使っています。先人の歩み、歴史をいやがおうでも感じます。

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太平洋戦争時に歌われた「同期の桜」の歌詞の題材となった、海軍兵学校中庭に植えられた桜です。桜の木の寿命は70-80年といわれていますので、植え替えはされていると思いますが、この場所で、同期の誓いをした海軍士官の思いに思いを馳せます。「貴様と俺とは 同期の桜  同じ兵学校の 庭に咲く 咲いた花なら 散るのは覚悟  みごと散りましょう  国のため~」が浮かびます。

<同期の桜You Tubeは、コチラ>
https://www.youtube.com/watch?v=nR0cKe5PEOY
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イギリス式の建物様式、フランス式のレンガの組み方等、西洋ハイブリッドな建物です。当時、相当建設費をかけて作った建物らしく築120年を超えてもいまだ現役です。

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太平洋戦争の開戦の場所となった真珠湾攻撃に実際に参加し、座礁・捕獲された特殊潜航艇の5隻のうち1隻の実物が展示されていました。終戦後に引揚げられ、昭和36年に日本に返還されたそうです。

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日本国民を守るために戦った先人の歩みをしっかりと目に焼き付けることができました。彼らの思いや努力を紡いで、彼らのおかげでこんな立派な日本になれましたよ、と胸を張って報告できるような国になっていきたいし、活動していきたいと思います。