戦後占領期にGHQ(連合国最高司令部)が日本人に施したWGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)という、戦争についての罪悪感を日本人の心に植えつけるための宣伝計画が、ウソ満載であったこと、歴史の事実を曲げて伝えられたことを明らかにした本です。その事実と異なるウソを、第一次情報である戦中の報道写真から明らかにしています。反日日本人、アメリカ、中国、イギリスにとっては目にしたくないであろう一次資料が掲載されています。著者の水間氏は、国会図書館にもNHK放送博物館にもなかった「真相箱」の台本を手に入れた上で、引用・紹介していますが、これまでこういった本が世に出てこなかったのが不思議なくらいです。

WGIPを実施するうえで強力なツールとなったのが、NHKラジオで放送されたGHQ制作の日本人洗脳番組「眞相箱」です。そこでは日本軍が南京で暴虐の限りを尽くしたと伝え、また真珠湾攻撃における日本の不当性を自虐的に非難しました。「真相箱」「眞相はかうだ」(しんそうはこうだ)は、大東亜戦争敗戦後の被占領期、連合国軍最高司令官総司令部 (GHQ) の占領政策の一環として、1945年12月からNHKラジオで放送された30分間の宣伝番組で、ほぼ毎日のように放送されたそうです。脚本をGHQの民間情報教育局 (CIE) ラジオ課が担当し、満州事変から終戦に至るまで軍国主義者の犯罪や国民を裏切った人々を白日の下に、音楽や音響効果音を駆使しながら、ドキュメンタリー形式を装ったドラマ仕立てにされた番組であったらしい。その目的は戦勝国が、自らを正当化し、敗戦国の中枢を貶めて、日本を弱体化させ再起できないようにすることにありました。そして事実と異なるウソを、これが真実とばかり繰り返して戦後に日本国民に植え付けたのです。そして、それは(目的達成という意味で)成功しました。
 
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①南京大虐殺
掲載されている南京陥落直後の報道写真は、どれも鮮明でした。日の丸の腕章をつけた南京市民が幼い子を抱きかかえ、積極的に撮影に協力している写真があり、そして両隣には笑顔の少年らがいます。日本兵相手に商売をしている南京市民や日本兵を笑顔で迎える中国人婦女子の写真があります。南京市内の中国人は日本兵、日本人を恐れていないようです。南京陥落の2日後には、陥落を祝って天安門前に5万人の中国人が集まっている写真では、日の丸が振られています。

それに対して、真相箱の記載では、「日本軍は、その一週間後その恨みを一時に破裂させ、怒涛の如く南京市内に殺到したのであります。この南京の大虐殺こそ、近代史上稀に見る凄惨なもので、実に婦女子2万名が惨殺されたのであります。南京城内の各街路は、数週間にわたり惨死者の流した血に彩られ、またバラバラに散乱した死体で街全体が覆われたのであります。この間、血に狂った日本兵士らは、非戦闘員を捕らえ、手当り次第に殺戮、略奪を逞しくし、また語ることも憚る暴行をあえて至しました」とのこと。

②バターン死の行進
掲載されている報道写真では、多数の米軍捕虜たちが水筒かカップをぶら下げているだけの軽装なのに対して、日本兵は銃を持ち、重い背嚢を担いで、1人で200~300人の捕虜を監視しながら、同じ距離を歩いています。また、降伏した米軍首脳と日本軍司令官とが向き合って会見している写真では、敗者の米軍将校のほうが居丈高でした。

それに対して、真相箱の記載では、「日本軍は焦熱の日に、食料も水も与えられずに行進している捕虜を殴ったり、鞭で打ったりした。日本の金銭を所有している者は首を刎ねられた。死骸が道に沿って横たわっていた。そしてその多くは日本のトラックに轢かれてつぶされていた。3名のフィリピン人とアメリカ人の兵士3名はまだ生きているのに埋められた」とのこと。

③マニラ市街戦
「マニラ市街戦から70年目の真実」の報道写真で、米軍による凄まじい砲爆撃により、マニラ市街が完全に破壊されたことを示しています。
 
それに対して、真相箱の記載では、「昭和20年、アメリカ政府は、次のような公式声明を行いました。いまやマニラは灰燼に帰している。嘗て東洋の豪華都市を誇ったマニラも、今では全く死の町となっている。大部分の教会、修道院、大学は瓦礫の山と化し、爆撃と火災の犠牲となり、戦死者と惨死者の死体や、手足を切断された女、銃剣で刺し殺された赤子の死体がうずたかく積み上げられている。かかる惨禍をもたらした命令は、直接東京から指示されたものである」。

④香港陥落
1941年12月の香港陥落では、日本軍は市街戦による民衆の犠牲を避けるため、山岳地帯からヴィクトリア要塞の前面陣地カメロン山を占領して、勝敗が決しました。占領後の報道写真では、避難外国人がくつろいでおり、日本軍から抑圧がなかったようにみえます。「香港陥落2周年大会」の写真では、多くの中華民国人が日章旗をかざしています。また、日本軍の捕虜になった元香港総督ヤングを台湾の収容所で写した写真を見ると、スーツの着用が認められており、日本軍は元総督に敬意を払っていたことが窺えます。
 
それに対して、真相箱の記載では、「日本陸軍は、昭和12年に世界の文明人を恐怖に突き落とした南京の大虐殺にも比すべき、恐るべき野蛮行為を香港において行った。イギリス軍の将兵50名は手足を縛られたうえ、銃剣を以て突き殺された。婦人はアジア人たるとヨーロッパ人たるとを問わず暴行され、惨殺され……また或る中国人街は、住民の実情も調べず、そっくりそのまま遊女街に指定された。守備隊の中、生き残った者は、扉も窓もなく、採光や衛生の設備もない壊れたバラック建ての兵舎に押し込められた。この中には、インド人、中国人、ポルトガル人も含んでいた。1月の終わりまでに赤痢患者150名が発生した。しかし薬品は全く与えられず、また全然治療を施されることもなかった。死体は収容所の一角に埋葬することを余儀なくされた」「香港を脱走した最初のイギリス婦人の語ったところも同様でした。『私の家の下男は、彼の胃に銃剣を突き刺されて殺されました。また下女は4名の日本兵士に襲われ、その中の3名から暴行を加えられました。私の知り合いのイギリス婦人は、まず兵士の革のベルトで顔を打たれ、そして暴行を加えられました』」。
 
以上のように、当時の報道写真を丹念に見れば、真相箱の内容は「意図のあるウソ」とみるのが普通でしょう。一方、東京大空襲や広島・長崎への原子爆弾投下のような民間人大虐殺については、戦勝国に不利なので一切触れていません。当時も今も海外のマスメディアは沈黙したままです。中国や韓国の日本批判の荒唐無稽さに驚くことがありますが、その根っこをGHQひいては、アメリカが主導してきたということを著者は主張されています。著者は、歴史検証をする際に大事なことは『法と証拠と正義に基づいて』と公言していますが、真相箱の内容が人々の記憶を書き換え、日本の歴史を書き換えてしまったのあれば、その罪は重い。