昭和天皇が終戦を決断した皇居地下の防空壕「御文庫付属室」内部の映像が、この夏に50年ぶりに公開されました。今は朽ち果てた会議室で昭和天皇はどのような思いで決断したのか。いつ建設され、どのように使用されたのか、いろいろ疑問が湧いてきます。

メインが、この御文庫付属室の会議室です。終戦に向けた1945年8月10日と14日の御前会議で昭和天皇が終戦の「聖断」が下されました。その場所が、70年前を経て、床などが完全に朽ち果てている状態で、手を加えられずに保存されています。今後も、保存措置を取る予定はなく、今後も手を加えずに管理するそうです。歴史を証拠として、ぜひ保存措置をとって欲しいと思います。
 
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1945年8月14日の御前会議は、閣議と最高戦争指導会議の連合会議であり,出席者は首相の鈴木貫太郎をはじめとする全閣僚に加え、参謀総長梅津、軍令部総長豊田、枢密院議長平沼、内閣書記官長迫水、総合計画局長官池田、陸軍省軍務局長吉積等であったとのこと。この御前会議では、天皇は戦争終結の反対論を聴取したのち,「自分ノ非常ノ決意ニハ変リナイ 内外ノ情勢,国内ノ情態彼我国力戦力ヨリ判断シテ軽々ニ考ヘタモノデハナイ 国体ニ就テハ敵モ認メテ居ルト思フ毛頭不安ナシ……戦争ヲ継続スレバ国体モ国家ノ将来モナクナル即チモトモ子モナクナル 今停戦セハ将来発展ノ根基ハ残ル……自分自ラ『ラヂオ』放送シテモヨロシイ 速ニ詔書ヲ出シテ此ノ心持ヲ傳ヘヨ」とおっしゃられ、聖断を下したといわれています。そしてこの会議が、最後の御前会議となりました。
 
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60平方メートルの会議室や空気清浄機が置かれていた機械室などがありましたが、現在は朽ち果てて、何の機械かも判別しがたい。写真は地下に空気を送り込む送風機でしょうか。「兵どもが夢の後」を思い出します。
 
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地下につながる廊下には土砂が、一部流入してしまっています。

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御文庫付属室は、東条英機陸相が陸軍築城部本部に防空壕を造るよう指示し、皇居の警衛を担当する近衛第1師団が1日平均1500の兵隊(!)を動員して、完成させました。厚さ3メートルの鉄筋コンクリートで外壁を築いた、250キロ爆弾に耐えられる堅固な空間です。場所は、昭和天皇の住まわれていた御文庫から北東に約100メートル離れた小高い丘です。

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現在の地上の御文庫外観です。

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出入り口は東西に2カ所あり、約22メートルの通路を通って内部に入ります。御前会議が開かれた会議室は60㎡程度でした。会議室だけでなく、通信室・機械室・トイレもあって、長時間、防空壕として利用できる設計になっていたようです。

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地上出入り口は、通常封鎖されていますが、逆に言えば、戦後、手を加えられずにそのままの状態で保存されています。
 
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約22メートルの通路を通って内部に入ります。

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地下廊下。鋼鉄製の扉の厚さがわかります。

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注)写真は、2015年7月に宮内庁が撮影、公開しているものです。また図表は読売オンラインから転載させていただいております。