保育園を義務教育にしたら?という大胆な提案をしているのが、社会学者・古市憲寿氏です。それによって子供の学力は向上し、児童虐待は減少し、景気も向上、母や子供、日本を救う少子化対策!とのふれこみです。ここでの「義務教育」の意味は、0歳から小学校にあがるまで、国に、(親から求められたら)誰でも、好きなだけ、無料で、子どもを保育園で預かり、教育(保育)をしなければならないとする義務を負わせてはどうか、というものです。

(著者曰く)
「保育園義務教育化」はただ少子化解消に貢献するというよりも、社会全体の「レベル」をあげることにつながる。良質な乳幼児教育を受けた子どもは、大人になってから収入が高く、犯罪率が低くなることがわかっている。
同時に「保育園義務教育化」は、育児の孤立化を防ぐ。今の日本では、子育ての責任がとにかく「お母さん」にばかり背負わされている。子どもが電車や飛行機の中で泣くことも、学校で勉強ができないことも、友だちと起こしたトラブルも、何かあると「お母さん」のせいにされる。だけど、本当は育児はもっと社会全体で担ってもいいもののはずだ。しかも子育て支援に予算を割くことは経済成長にもつながる。いいことずくめなのだ。

この国は、(時として母親の人権さえ認められないほどまでに)母親に育児の負担を押し付けてきている。母親だけが子育てに専念してきた時代など、長い歴史を通じても、せいぜい1980年前後の20~30年間程度。安心して子どもを持つことができない国で、少子化が止まるわけがない。6歳までの教育環境は人格形成にものすごく大事で、幼児期によい環境を提供する施策は国として、コストパフォーマンスの優れた事業である。いっそのこと、保育園(幼稚園や家庭的保育なども含む)を義務教育化してしまってはどうだろう。

著者の主張は、明快。保育園の義務教育化は、国が本気で少子化対策に必要と考えるかどうかでしょう。全員分の保育園を整備するのにいったいいくらかかるのか、財源論と政策効果等の推計をしてみるべきかもしれません。
 
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(保育士の待遇について)
考えてみると、大学・高校・中学・小学校の先生に比して、保育園・幼稚園の先生ほど冷遇されている職場環境はありません。日本において保育士(幼稚園を含む)の給与は安いというのは常識です。単にこどもが好きだ、という気持ちだけでは続けられず、いくら短大を卒業して保育士になっても、若い年齢での離職が続いています。私立保育園経営にとっては、安い給料で若い保育士が雇えるということで良いかもしれませんが、経験豊富なベテラン保育士が育ちにくい。北欧では低年齢を預かる保育士が最も資格取得が難しく、かつ給与も高いと聞いたことがあります。考えてみれば、一番手がかかり、目が離せず、人間として大幅に成長する重要な期間の保育を担うのだから、高給のほうが自然かもしれません。しかし、現実に日本では「保育=教育でなく、代わりの保育士はいくらでもきく」くらいの位置づけではないか。だからこそ、保育士の待遇は低いのかもしれません。

(女性に求められる役割について)
初めての出産・育児をする母親にとって、まだ「人間」とはいえない赤子と24時間一緒に過ごし、寝不足のまま、やるべきこともわからず、出口が見えない、正しいルートもわからない暗闇を走れといわれているようなものです。そして父親は「育児は母親の仕事だから」と丸投げ。あげく、いつまでも綺麗な妻でいてほしい、家事もやってほしい。さらにはこどもを産んでも働いてね、なんてのは、無理ってもんです。完全に疲弊します。心を壊すかもしれないし、子供に手をあげてしまっても、むげには責められないのでは。

(解決策はあるのか)
ママが疲弊する前に、育児のプロである保育園・保育士に、もっと頼ってみてはどうでしょう。働く母親はもちろん、働きたいという気持ちがなくとも、週に一度でも預ける場があれば、どれほどの心の余裕を母親に与えるか計り知れません。充電した上で、より濃く愛情を注げることができます。それが子どもの成長に良い、というエビデンスがある以上、反対する理由はないでしょう。

母親だって人間であり、万能な超人などではありません。女に「超人」と求めるなら、男もそうでなくてはならない。それができないなら、母親を人間扱いできる社会の枠組み作りをしなければならないと思います。
 
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