間部 詮勝(まなべ あきかつ)は、越前鯖江藩主を努め、江戸幕府の老中首座でした。11代将軍・徳川家斉の側近として出世しましたが、水野忠邦の天保の改革でいったん辞職、その後、大老井伊直弼の下で再び、勝手御入用掛と外国御用取扱を兼務する老中に復帰します。業績としては、日米修好通商条約調印の調停からの勅許を得ます。

そんな 幕末の老中、間部詮勝の国許が鯖江藩(現 鯖江市)です。鯖江市は、これまで越前市や福井市等との合併話が登ったものの、現在でもあえて市町村合併の道を選ばず、人口6万人という小都市で独自路線を貫いています。

間部詮勝の居城建設予定地であった、西山公園に間部詮勝の銅像がありました。建設は巨額の資金が必要なため当初からあきらめ、結局、間部詮勝は庭園を整備するにとどめ「「嚮陽渓(きょうようけい)」と命名しました。それが「町立嚮陽公園」となり、「日本の歴史公園100選」に選ばれ、現在の西山公園となっています。

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公園内には、間部詮勝をはじめとした鯖江市ゆかりの人物数人の紹介が「さばえ 人物ものがたり」としてなされていました。

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単に紹介だけでなく、クイズ形式のウォークラリーになっていて、答えを知るためにも次のチェックポイントを探して、散策しなければならない仕組みになっていて面白い。

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公園の頂上部分には、池が整備され、それに乗り出すように茶室がありました。本来であれば居城には天守閣があり、防御のための堀があるのでしょうが、そういったものはここにはありません。

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日本の歴史公園100選に選ばれたのは、必然かもしれません。大正3年には大正天皇即位の御大典記念事業として、嚮陽公園を「西山公園」と改称し、町民総出による修復も行われ、大広場の造営、中腹東側には瓢箪池や藤棚を設置し、全山に桜を植え、県下でも指折りの桜の名所となりました。さらに昭和33年に、市民からの提供も含め2,100株のつつじが植えられたのが、つつじの名所となりました。昭和35年には6,500株となって、第1回「つつじまつり」が行われました。このように、西山公園の歴史は、市民の力で、鯖江藩第7代藩主間部詮勝公が考えたとおり、「春秋の自然に接し、衆と楽しむ」との精神が、連綿とした歴史の中で実現したものだからです。

いわき市平のまちなかにも、磐城平藩安藤家の江戸下屋敷から移植されたツツジの名所、松ヶ丘公園があります。郷土の偉人のひとり、天田愚案の旧居が置かれている場所でもあります。安藤家下屋敷から1,000本、他に全国各地から600種2,000本 合計3,000本を移植したもので、当時は東北一の桜とツツジの公園でした。しかし、それが市民運動にまでならなかったことが、鯖江市の「日本の歴史公園100選」との彼我の差かもしれません。

<安藤信正の銅像は、コチラ>
http://www.mikito.biz/archives/43731719.html