中村豊氏は、常磐興産の中興の祖というべき存在であり、スパリゾートハワイアンズの駐車場の一角に銅像が設置されています。ハワイアンズの前身である、昭和41年に創設された常磐ハワイアンセンターは、当時建設に対して相当な反対運動がありました(映画フラガールのとおり)。そこを強力なリーダーシップを持って押し切り、推し進めたのが、中村豊氏なのです。
 
当時は、炭鉱の町だった常磐地区ですが、時代の流れとともに需要が減り、炭鉱を閉山すれば雇用がなくなるというにっちもさっちもいかない状況でした。常磐興産の社員であった中村豊氏は、中村氏は当時、斜陽産業であった炭鉱産業の従業員救済のため、温泉を再利用する構想を打ちたてます。そこで炭鉱労働者やその家族の雇用創出、さらに同社の新たな収入源確保のため、炭鉱以外の新規事業を立ち上げることになり、『日本人が行ってみたい外国ナンバー1』だったハワイに着目。炭鉱で厄介物扱いされていた地下から湧き出る豊富な常磐湯本の温泉水を利用して室内を暖め、「夢の島ハワイ」をイメージしたリゾート施設「常磐ハワイアンセンター」の建設を計画しました。まだ、東京ドームなどのない時代に柱を1本も使わない「ダイヤモンドトラスト工法」によるドームを起案、そしてフラダンス、タヒチアンダンス、ポリネシアンダンスのダンサーは、自前で設立した常磐音楽舞踊学院から人材を供給するなど、アイディアと推進力を持ち合わせた卓越した人物でした。

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中村氏が常々言っていた言葉が3つあるそうです。「他人の真似をするな。自分達の力でやれ。地域と共に歩め」。そう簡単に模倣することはできませんが、まさに常磐ハワイアンセンターの思いを言葉にしたものではないでしょうか。

<常磐ハワイアンセンターは元炭鉱住宅跡地は、こちら>
http://www.mikito.biz/archives/40413079.html
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ハワイアンセンター開設当初の計画にはなかった、近代的な最新鋭ホテル、モノリスタワー。直近の社長は、常磐興産生え抜きではなく、外部のみずほ銀行出身の井上直美氏です。新しい視点で経営改革を推進中と伺っています。中村豊氏はどんな思いで、現在の常磐興産の経営を見守っているでしょうか。

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