星一の胸像・記念プレートが、勿来市民会館前の一角に設置されています。昭和48年に設置され、40年以上経過していますが、丁寧に手入れされているせいか、非常に状態が良く、美しいです。設置者は、星一顕彰会(代表が、当時の福島県知事でいわき市四倉出身の木村守江氏)。先人の歩みを、紹介し次世代に伝えるということを、きちんとされていました。

<偉人読み聞かせは、コチラ>
http://www.mikito.biz/archives/41570741.html
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星一の座右の名は、「親切第一」。「自己に親切なれ、何人にも親切なれ、物品に親切なれ、時間に親切なれ、学問に親切なれ、金銭に親切なれ、親切は平和なり、繁栄なり、向上なり、親切の前には敵なし、親切は世界を征服す」と説きました。「世界を征服」とは、スケールが、デカイ。

<親切第一は、コチラ>
http://www.mikito.biz/archives/38382203.html
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この顕彰記念碑(レリーフ)は駐ドイツ商社マン鎌田哲男氏が、独自ルートでドイツ政府に制作を働きかけたのが発端です。縦80センチ、横120センチの青銅製のレリーフは、ドイツ政府が制作費を出し、ドイツの鋳物メーカーが作り、空輸され、設置されました。中央に星の肖像がレリーフとして掘られ、フォルカー・シュタンツエル駐日ドイツ大使と木村敬三元駐独日本大使の文章がドイツ語と日本語で刻まれています。駐日ドイツ大使からは、「ドイツ化学工業に多大な援助をされ、長年の支えとなっています。その業績に感謝の意を表します」などの意味だそうです。2010年の除幕式では、ドイツ大使館からはアンナ・プリンツ公使夫妻が来市されたそうです。聞くところによれば、市長をはじめ、国会議員、県会議員、市議会議員、外務省、市役所部課長等、いつにない来賓がほとんど出席したそうです。

それにしてもそれだけ盛り上がった顕彰記念碑贈呈式が、5年経つと、ほとんど忘れ去られてしまっていることの方に、驚きと失望を感じます。このような先人を顕彰する活動は一過性に終わらせるのでなく、細く長く続けることで、次世代につなげることができます。 
 
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当時のこの記念プレートの文章を書かれた木村敬三 元駐ドイツ大使ご本人も、いらっしゃいました(画面中央)。ご自分が5年前に書かれた文章を改めて、感慨深く見られておられました。

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