「豊間中の奇跡のピアノ」が、いわきピアノショップに鎮座しています。2011年の紅白歌合戦で、「嵐」の櫻井翔が「ふるさと」を演奏した、あのピアノです。奇跡のピアノの背景について、いわきピアノショップの遠藤洋店長にお話しを伺いました。
「奇跡のピアノ」は、いわき市豊間中学校の卒業式で演奏されたグランドピアノで、震災の日に津波の被害に遭い、海水に流され、泥に埋まりました。2カ月後にピアノ調律師の遠藤洋氏によって発見され、懸命な修復作業により、命を吹き返し、復興のシンボルとなりました。シンガポールや台湾等にも運ばれ、チャリティコンサート等に活躍しています。
陸上自衛隊員40人によって丸4日間かけて、撤膝の高さまであった砂と瓦礫が撤去されました。ステージの上に横転していたグラウンドピアノがありました。「思い出がつまったピアノを、ガレキにしてしまってよいのか」。結局、現場で指揮をとっていた山口勇3等陸佐の判断で、ピアノをガレキにせず、潮水が残る体育館の中央に残していきました。
運び出されたピアノは強い磯の臭いがしました。内部には砂が入り、弦は錆び付き、鍵盤も無くなっていました。修復作業は半年にも及ぶ大規模なもので、交換しなければならない部品点数は1万点、部品代だけ100万円を軽く超えたそうです。そしてついにピアノの音はよみがえり、「奇跡のピアノ」と呼ばれることになります。
遠藤氏いわく、このピアノに四家広松さんの名前がなかったら、修理をさせてもらわなかったかもしれないとのこと。「私達はこの震災で多くの大切な物を失いました。しかし、代わりに家族や、人と人を結ぶ絆の大切さを実感することができました。これからも、ピアノを寄贈した時の四家広松さんの思いをずっと残していければと思っています」とのこと。
いったん塩水に浸かったピアノの塩はなかなか除去しきれるものではありません。その証拠に、ピアノの弦がとても錆びやすくなってしまっているとのこと。錆がつくと、動きが悪くなり、音も引き心地も悪くなるそうです。ピアノがピアノとしの機能を維持しながら保存していくことは、通常のピアノの何倍も工数がかかることがわかりました。
「奇跡のピアノ」は、いわき市豊間中学校の卒業式で演奏されたグランドピアノで、震災の日に津波の被害に遭い、海水に流され、泥に埋まりました。2カ月後にピアノ調律師の遠藤洋氏によって発見され、懸命な修復作業により、命を吹き返し、復興のシンボルとなりました。シンガポールや台湾等にも運ばれ、チャリティコンサート等に活躍しています。
2011年3月11日午前中、校舎から10数メートル先に太平洋が広がるいわき市の豊間中学校で、卒業式が行われていました。ピアノの伴奏とともに47人の卒業生の門出を祝った3時間後、東日本大震災による大津波が同校を襲いました。体育館の時計は、3時28分で止まっています。幸い生徒には被害はありませんでしたが、豊間中学校がある薄磯地区では100人以上が亡くなりました。
陸上自衛隊員40人によって丸4日間かけて、撤膝の高さまであった砂と瓦礫が撤去されました。ステージの上に横転していたグラウンドピアノがありました。「思い出がつまったピアノを、ガレキにしてしまってよいのか」。結局、現場で指揮をとっていた山口勇3等陸佐の判断で、ピアノをガレキにせず、潮水が残る体育館の中央に残していきました。
震災から2週間後、市内でピアノ店を営む調律師・遠藤洋氏が、豊間中を訪れ、このピアノと出会います。砂と海水のダメージをうけたそのピアノ修復は、不可能とさえ思われましたが、「寄贈した方の思いをずっと残したい」「震災で多くのものを失っても、人と人の絆は失いたくない」との思いで修復を決意したそうです。学校、寄贈者、市教育委員会から修理の許可を取り付け、ピアノを自分で買い取り、 修復作業を一人で黙々と始めました。鎮魂の思いもこめて復活させ、もう一度生徒たちにこのピアノで校歌を歌ってもらうことが、被災した方を勇気づけ「復興」のシンボルになるのではないかと考えたとのこと。
運び出されたピアノは強い磯の臭いがしました。内部には砂が入り、弦は錆び付き、鍵盤も無くなっていました。修復作業は半年にも及ぶ大規模なもので、交換しなければならない部品点数は1万点、部品代だけ100万円を軽く超えたそうです。そしてついにピアノの音はよみがえり、「奇跡のピアノ」と呼ばれることになります。
ピアノの右側には、「寄贈 四家広松」という文字が刻まれています。このピアノは、平成11年に四家広松氏(故人)がお孫さんが通う同校の体育館の新築を記念して、豊間中に寄贈したものでした。このグラウンドピアノは豊間中学校の体育館に置かれ、入学式や卒業式で校歌を奏でてきたでしょう。広松氏すでに亡くなっておられますが、故人が経営されていた(株)丸徳四家広松商店は、乙姫蒲鉾現社長の四家広彰さんによって続いており、いまでも豊間地区で、板かま「おとひめ」蒲鉾として販売されています。
遠藤氏いわく、このピアノに四家広松さんの名前がなかったら、修理をさせてもらわなかったかもしれないとのこと。「私達はこの震災で多くの大切な物を失いました。しかし、代わりに家族や、人と人を結ぶ絆の大切さを実感することができました。これからも、ピアノを寄贈した時の四家広松さんの思いをずっと残していければと思っています」とのこと。
いったん塩水に浸かったピアノの塩はなかなか除去しきれるものではありません。その証拠に、ピアノの弦がとても錆びやすくなってしまっているとのこと。錆がつくと、動きが悪くなり、音も引き心地も悪くなるそうです。ピアノがピアノとしの機能を維持しながら保存していくことは、通常のピアノの何倍も工数がかかることがわかりました。