いわきの医療・まちづくり公開シンポジウムの開催にあたり、東京大学医科学研究所 教授の上昌広氏にご講演いただきました。上昌広先生は、現在、東京大学医科学研究所 先端医療社会コミュニケーションシステム社会連携研究部門の特任教授です。東京大学医学部、同大学院修了され、虎の門病院、国立がんセンターで造血器悪性腫瘍の臨床研究に従事されました。「復興は現場から動き出す」「復興は教育からはじまる」の著者であり、日本を代表する医療ガバナンスの研究者です。

東日本大震災時後は、福島県浜通りの医療問題改善に取り組み、いわきにも何度もいらっしゃっています。南相馬への医師派遣にひとかたならぬご協力をいただき、現地での教育環境の向上に尽力され、また赴任された医師は現場に溶け込み、市民向けの医療セミナー等を頻繁に開催し、市民との期待ギャップ解消に努められておられます。

上先生地域偏在

 東日本大震災以降、福島県の医療支援を続けている。きっかけは原発事故後にいわき市のときわ会の透析患者を千葉県鴨川市に搬送したことだ。一連の活動を通じて痛感するのが、被災地の復興は人材育成にかかっているということだ。特に医療が果たすべき役割は大きい。それは高齢化が進むわが国で医療は住民の健康管理だけでなく、確実に雇用が見込める分野だからだ。現時点で医療分野の雇用数は、自動車産業と同じである。給与も比較的高い。例えば看護師の平均年収は約四七二万円だが、これは我が国のサラリーマンの平均所得(四〇九万円)より上だ。ただ、医療業界には問題がある。資格がいることだ。業務独占資格であるため、既得権をもつ抵抗勢力があり、新規参入が難しい。

 我が国では、医療関係者の養成施設に極端な偏在がある。多くの人は「東京に集中している」と考えているだろうが、実態は違う。医師の場合、東京の医師養成数は西日本と同じレベルだ。人口が一三三五万人の東京には一三の医学部。人口が三八八万人の四国に四つ、人口一三〇七万人の九州に一〇の医学部がある。一方、東京以外の東日本は少ない。人口が一三四二万人の千葉県・埼玉県には三つ、人口一九四万人の福島には一つしかない。この結果、我が国でもっとも人口千人あたりの医師数が少ないのは埼玉(一・五人)、千葉(一・八人)となっており、徳島(三・二)や福岡(三・〇人)の半分程度だ。東北地方も状況は変わらない。いわき市は一・七人である。丁度、メキシコの平均程度だ。看護師や薬剤師などのコメディカルは病院で養成される。このため、医師が少ないところには、コメディカルも少ない。例えば、いわき市の人口千人あたりの薬剤師は二・〇人だが、これはほぼ人口規模が同じ中核市である高知市(三・〇人)とは比べものにならない。

 先日、埼玉県の有効求人倍率が〇・七四倍であると発表された。アベノミクスで経済界が活況を呈する中、意外に思われるだろうが、これは埼玉県では医療産業が未発達であることが無関係ではない。現在、いわき市の経済は活況を呈しているだろうが、復興バブルが終われば、千葉県と同じ状況になるはずだ。このツケは、住民自らが払うことになる。医療従事者が少ないところでは、当然ながら医療レベルも低い。震災以降、福岡県出身の医師が相馬市内で働くようになったが、「福岡より一〇年は遅れている。医師個人のレベルは高いが、十分に治療を受けていない」と語っている。
 
 問題は医療水準や地域の雇用だけでない。地域の医師数は、地元の中学や高校の教育レベルに直轄する。それは各地の教育は、地元の大学への進学を目指してレベルアップするからだ。そして、医学教育は大学教育の中核を担ってきた。現在も旧七帝大のうち四つの大学の学長の座を医学部出身者が占める。
前述したように、医学部の配置には極端な地域格差がある。そして、その格差には我が国の歴史、特に戊辰戦争が関係している。官軍となった西国雄藩が、地元に優先的に国立大学を作ったのだ。九州・四国・中国地方には、国立大学の医学部は実に十六もあるが、東北・関東地方には九つしかない。人口比とすれば、実に四倍もの差だ。戦後の関東地方の人口増だけでは説明できない。

 医学部は高等教育投資の一つの例だ。他の学部も状況は似ている。そして、これが地元の教育に影響する。例年、十八歳人口当たりの東大合格者が多いのは、兵庫・鹿児島・四国・中国の各県が上位陣を占める。
スポーツも同様だ。例えば、高度成長期以降、公立高校が甲子園で優勝したのは、取手二高を除き、全て九州・四国・中国地方だ。かの池田高校は、人口一・五万人の町の野球部が高校や球界に革命をおこした快挙だ。故蔦文也監督は、赴任から四一年かかり、全国の頂点に立った。山間の田舎町に、本気で、こんなことを考える監督がいたことが、常軌を逸している。徳島の地域力の象徴だ。徳島の人口は、ほぼ浜通りを等しい。ここからは大塚製薬、ジャストシステム、日亜化学などの大企業が生まれている。中村修二氏をはじめ、徳島大学出身者が多い。徳島大学こそ、この地域の財産だ。
 
 東日本大震災を経て、東北に医学部が新設されることが決まった。安部総理の英断で規制が緩和された。今こそ、戊辰戦争以来、抑圧されてきた東北の飛躍の時期かもしれない。ちなみに、東北地方での医学部新設に、もっとも反対したのが、岩手医大・東北大・福島医大の幹部だったことが、この問題の本質を表している。抵抗勢力が要望するのが、「被曝医療センター」などの「ハコモノ」だ。いわき市でも、総額三百億円を費やし、市民病院を建て替えようという動きがあると聞く。専門家がいないのに、ハコモノを作って一体誰のためになるのだろうか。その借金は、子どもたちが払うことになる。地域の生き残りは人材育成にかかっている。長期的な視野に立った議論が必要である。

上昌広氏
東京大学医科学研究所
先端医療社会コミュニケーションシステム社会連携研究部門 特任教授
93年東大医学部卒。97年同大学院修了。医学博士。
虎の門病院、国立がんセンターにて造血器悪性腫瘍の臨床研究に従事。

出典:いわきの医療・まちづくり公開シンポジウム ご寄稿集