観陽亭は富岡町の太平洋を望む絶景の展望大浴場があるホテルです。いや、でした。東日本大震災による津波被害と、放射能で営業を停止し、現在に至っています。太平洋岸の絶壁の上に建てられているため、眼前に広がる太平洋の水平線から昇る日の出・月の出が美しかったそうです。本当に良い場所です。

海抜18mもの絶壁の上にもかかわらず、津波が1階部分を襲ったとのこと。富岡町の津波の高さは10m程度といわれていますが、地形によって20m以上も波が駆け上がったと言われています。こんな高い場所に津波がきたなんて、実際、この地で立っていても信じられません。

一方、このような被災地スタディツアーが広まってきていて、地元の方の案内や所有者の許可なしに勝手に私有地に立入ってしまうケースも見られるとのこと。現地に管理人が常駐しているわけではない、スタディツアーの難しさがあります。

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http://www.mikito.biz/archives/39441989.html
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未だに観陽亭の営業中の看板がそのまま残されています。観陽亭のオーナー遠藤氏は、いわきに長期避難中の間に、株式会社フタバ・ライフサポート 観陽亭という会社で、事業を再起すべく、仕出し弁当で急成長しています。ここのお弁当は、美味しいので私もときどきいただいています。

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かつては、蝋燭岩(上記看板をご参照)という、ローソク状の岩が眼前に見えていましたが、3.11の津波で岩も流されてしまいました。現在は、小さな岩礁が残っていますが(画面右したの三角型の岩)、かなり小さくなってしまいました。

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観陽亭から南に目を向けると、富岡漁港の奥に、福島第2原子力発電所が見えます。1-4号機とともに、タービン建屋も肉眼ではっきり見えます。震災時には、完全にポンプモーターは水に浸かり原子炉が冷やせなくなり、1日と持たずに格納容器の設計圧力に達するおそれがあったそうです。すなわち福島第一原発と同様に、第二原発もメルトダウンの危機だったわけです。

外部電源4回線のうち3回線が被災し、1回線だけ生き残りましたが、炉心を冷却する建屋から遠い場所にありました。そこで当時の福島第2原子力発電所の所長は800メートルも離れた外部電源の回線を、建屋まで人海戦術でケーブルを担ぎながら運ぶという指示をだしました。ケーブルといっても、何トンもする大変重いもの。自衛隊のヘリでケーブルを運んできてもらい、200人もの作業員が2メートル間隔でケーブルを担ぎ、建屋に引っ張りこんだそうです。当時の福島第2原子力発電所の所長が、電気を専門とする増田尚宏氏が所長だったから判断できたそうです。

事故を引き起こしたのは東京電力の施設ですが、当時の現場作業員がいなければ最悪の事態になっていた。またその後の廃炉も現場作業員がいなければ事態は改善しない。素直に私は現場作業員の方々それぞれに感謝したい。

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注)写真は、ガイドの藤田大さんの許可いただいて、撮影しています。