ゲンロン友の会主催の福島第一原発災害被災地へのスタディツアーに参加しました。東京発着なので、参加したのは関東を中心に25名。遠くは広島から参加された方もいらっしゃいました。ガイドは『福島第一原発観光地化計画』にインタビューが掲載されている富岡町の藤田大氏。富岡では、「なごみ邸」という仕出し弁当の会社を手広くやっておられましたが、震災で壊滅。その後家族とともにいわきへ長期避難し、いわきで仕出し弁当屋さんを再開されています。この度、観光ガイド事業を事業化すべく、ふたば商工株式会社を商工会と一緒に立ち上げています。今回はそれに、ゲンロンの東浩紀代表とスタッフが全行程に同行しています。

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現在、富岡町は一部が帰還困難区域で、多くが居住制限区域に指定されており、朝夕の出入りは基本的に自由になっています(自主的に、居住制限区域から出るときは、福島第二原発の横にあるスクリーニング施設で、汚染の有無をチェックしてから出る)。まずは、有名な富岡駅をご案内いただきました。驚いたのが、我々以外に観光バスが3台も先に来ていたことです。福島ナンバーの大型バスで、いかにもツアー客然とした一行をガイドらしき方が引率されていました。事実上、観光ツアーは組まれています。早急に地元富岡による受入の整理が必要ではないかと感じました。ただし、富岡町民の中でも、未だに市外から「スタディツアー」として自宅等を見られることを心良しとしていない方々と、逆に復興のためのひとつのキーとして必要と考える方々が、それぞれいらっしゃるので、細心の注意が必要とのこと。

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現在のルールでは、福島第一原発事故による避難指示区域は、下記の3区分になっています。これを理解していないと、まず話が始まらない。
1.帰還困難区域:放射線の年間積算線量が50ミリシーベルトを超える区域(例:大熊町のほとんど)
2.居住制限区域:、放射線の年間積算線量が20ミリシーベルトを超える区域(例:富岡町の半分くらい)
3.避難指示解除準備区域:放射線の年間積算線量が20ミリシーベルト以下の区域(例:楢葉町のほとんど)

帰還困難区域は、住民だけが年間15回のみ、立入ることができます。居住制限区域は、日中だけですが原則自由に立入ることができます。現在は15:00までの自主ルールだそうです。ただ警察の検問や職務質問用に、富岡町民には立入証が配布され、必要に応じて提示します。

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もう非常に有名となった、「改札のパイプ」。ホーム施設のほとんどがなくなり、これだけが残っています。

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もういわきではあまり見られなかった放置車両が、富岡ではまだまだ通常の光景です。住民がいないと本当に時間が止まっています。

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富岡駅前の建物。いわきでは全壊認定されれば、市の予算で(最終的に国から補填されるのですが)で取壊しが終了しています。一方、富岡ではほとんどが手つかずという状況に驚かされます。これには、住民が住んでいない、取壊し業者もいない、不動産賠償の行く末が見えない等の複数の理由でそのままになっています。
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富岡駅前に慰霊碑がありました。線香でなく、水やジュースをお供えするんですね。

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注)写真は、ツアーガイドをしていただいた、藤田大様の許可を得て撮影しております。 

<旧警戒区域に行ってみっぺ 被災地スタディツアー なごみ邸の廃屋>
http://www.mikito.biz/archives/39453167.html 

<旧警戒区域に行ってみっぺ 被災地スタディツアー 帰還困難区域と居住制限区域の境界>
http://www.mikito.biz/archives/39453148.html

<旧警戒区域に行ってみっぺ 被災地スタディツアー 観陽亭>
http://www.mikito.biz/archives/39453135.html

<被災地スタディツアー 殉職したパトカーを震災遺構に> 
http://www.mikito.biz/archives/39453100.html