18歳で単身、中米エルサルバドルに渡り、国立コーヒー研究所に入所。エルサルバドルの内戦で多くの知人を失ったり、グアテマラでは大地震、ジャマイカではハリケーンに巻き込まれながらも世界各地でコーヒー栽培に携わり、コーヒーのためにできることはすべてやる、コーヒー界のインディジョーンズ、「コーヒーハンター」と称賛される方の新著です。

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座右の銘は、「何人かが、当然それを為すべき筈である。それなら、自分が何ゆえ為さずに済むものか」だそうです。すごい生産者がいる、すごいコーヒーがあると聞けば、どこへでも飛んでいく。たとえ、それが中南米の密林の奥地であろうと、アフリカの高地であろうと、アラブの荒野であろうと……。おいしいコーヒーがあるところを目指して、ただひたすら突き進む。一方、発展途上国での農園開発は、日本の本社の社員が想像するような花の海外駐在生活とは程遠い、生死をかけた真剣勝負です。それでも子どものころからやりたかったことが、一生の仕事になったそうです。

本当にここまで「突き抜ける」人は滅多にいないでしょう。自分のやりたいことを一生の仕事にできる。このことがどれだけ幸せなことか、著者の仕事に打ち込む姿は生き生きとしており美しい。表紙に著者のとてもいい顔の写真がでかでかと載せられています。仕事に充実し、人生に充実した人の顔はこんなにもいい顔をしているんですね。
 
それにつけても、読むにつれ引き込まれていく著者のすさまじい海外体験。テロや天災といった非日常の世界と常に隣合わせで生きてきた足跡は活字の上からもその凄さが伝わってきます。一日で読み切ってしまいました。それをくぐり抜けてきた著者の生き方を「ストリートスマート Street Smaet」と紹介しています。どんな状況下でも生き抜く智恵や経験、そして体力と判断力の4つが必要だということ。これは「どんなときでも何とかなる」「どんな状況でも何とかする」「常に楽しくおもしろく生きる」という生きるための心構えであり、生き抜くために覚えておくべき究極のポジティブ思考です。それは自分自身のためだけでなく、自分を必要としているすべての人のために、自分ができることはすべてする、という生き方でもあります。

その川島氏が、木の選別、果実の選別、精選方法、最終精選、運搬方法、コーヒーセラー、加圧舗装の7つにこだわって作り上げた「グラン・クリュ・カフェ」。一度は飲んでみたいものです。

 略歴
1956年 静岡県静岡市に珈琲焙煎卸業の長男として誕生
1975年 エル・サルバドル ホセ・シメオン・カニャス大学入学、その後国立コーヒー研究所に入所 コーヒー栽培・精選を習得
1981年 UCC上島珈琲株式会社入社。UCC Blue Mountain Coffee Company設立と農園開発に携わる(現地子会社の社長にもかかわらず、本社では平社員だった)
1989年 Ueshima Coffee(UCC Hawaii) Corp.設立と農園開発に携わる
1992年 開発した農園が、アメリカ連邦政府農務局よりハワイ島西地区最優秀農園に選ばれる
1995年 インドネシア スマトラ島にUCC Lingtong Mandhelong Coffee Company設立と農園開発に携わる
1999年 マダガスカルで絶滅危惧種マスカロコフェア種の発見・保全に成功。フランス海外県レユニオン島で絶滅種ブルボン・ポワントゥを発見し(これがコーヒーハンター、コーヒー界のインディジョーンズの由来)、産業復活プロジェクトを立ち上げる。マダガスカルで低カフェインコーヒープロジェクトを手掛ける(これがフェアトレードのきっかけ)
2003年 帰国後、UCC上島珈琲株式会社本社勤務。後に執行役員農事調査室長就任
2006年 東京大学で研究会「コーヒーサロン」を開始
2007年 UCC上島珈琲株式会社退社、日本サステイナブルコーヒー協会設立
2008年 株式会社ミカフェート設立 代表取締役就任
2011年 JAL日本航空コーヒーディレクター就任
2013年 JICA 独立行政法人国際協力機構 客員専門員就任