19世紀に中国大陸を支配していた清朝政府は、科挙と呼ばれる過酷な選抜試験を通じて、国中から非常に優秀な人材を集めて、国を動かしていました。しかし、世界の中での優れた大局観を持っていなかったことから、衰退し続けて滅びました。科挙で選抜された人々は、いわゆるBest and Brightestでしたが、前例や掟を超えた動きをすることが難しく、欧米列強が迫り来る中で、内向きにもがくことしかできませんでした。

ローマ歴史家の塩野七生氏は著書で、ギリシャがスパルタに滅ばされた理由として「衆愚政とは、人材の不足からくる結果ではなく、制度が内包する構造上の欠陥が表面に現れた現象に思えてならない」といっています。日本の明治維新においても、ルールを守り幕藩体制を維持しようとし優秀な幕臣達が運営する徳川幕府が、結果的に滅びました。

これらの歴史から何を読み取るか。歴史の転換点において求められるのが、偏差値等の優秀性でなく、前例や常識、横並び至上主義を越えていく力だということだ思います。その力は、他人がやっていることを恐る恐る横目に見ながらチャレンジらしきすることではなく、これまでの常識を打ち破る形で何かを「やり過ぎる力」です。

アップルのスティーブ・ジョブは、「今日一日が人生最後の日でも悔いがないように生き」てきたそうです。この死生観は、日本の「武士道とは死ぬことと見つけたり」の武士道精神と相通じるところがあると思います。吉田松陰は、高杉晋作に対して、「死して不朽の見込みあらばいつでも死ぬべし。生きて大業の見込みあらばいつでも行くべし」との名言を残しています。命を捨てることで後世に朽ちることがない業績を残せるのであれば、そこを死地として心得て死ねといい、同時に、生き抜くことで後世に大業を残す見込みがあるなら、とことん生き抜けというものです。

前例やルール遵守は守備範囲が短い。もっと守備範囲を広く、後世に何が残せるかという視点で行動すれば、思い切ったアクションがとれるのではないか。

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