医療崩壊 「立ち去り型サボタージュ」とは何か、の著者 小松秀樹先生にお話を伺いました。広い知見と自ら経験に基づく現在の医療制度の課題や解決案等の考え方には、圧倒されました!現在でも臨床現場に携わる傍ら、提言活動や社会貢献活動もされ、僭越ながら「カッコイイ生き方」だなあと、感じ入りました。

小松秀樹先生は東京大学医学部出身で、虎ノ門病院で長く泌尿器科部長として執刀を続け、現在は亀田総合病院の副院長をされています。「リスクのない治療はない」「死は確実であり、医療の結果は常に不確実」という事実をベースに、医療の現場を崩壊させる際限のない社会の「安心・安全」要求、科学を理解しない刑事司法のレトリック、コストとクオリティを無視した建前ばかりの行政制度など、さまざまな課題・矛盾点を、具体例とともに幅広い知見を引用して提言されています。

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福島県立大野病院事件をはじめとした医療現場にも警察が立入るようになり、結果次第で犯罪を問われるようになっています。また患者の権利意識は肥大化し、理不尽な要求も、社会の後押しもあって、たしなめることが許されない局面もあります。こうした中、勤務医が厳しい労働条件の中で、じっと我慢して頑張ることを放棄し始めました。そもそも大病院の勤務医の報酬は、(それまでに積み上げてきた知識・経験に対して)多いものではありません。自らの知識や技量に対する自負心と、患者に奉仕することで得られる満足感のために働いているといってもいいでしょう。しかしハイリスクな患者からの理不尽な要求や攻撃を受けながら、だまって奉仕せざるを得ない状況が続けば、人間の誇りと士気は大きく損なわれてしまいます。実はこれはイギリスの医療崩壊の状況と酷似しているそうです。日本全国で、勤務医が楽で安全で収入が多い(といわれている)開業医にシフトしはじめています。日本全国の病院で医師が不足し、特に救急や産科診療の崩壊が進行しています。勤務医が絶望して病院を去ってしまうこの現象を、著者は「立ち去り型サボタージュ」と名付け、社会からの攻撃に対する医師の消極的対抗手段と位置づけています。

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著者の以下の問題点の提起や提言は、直接的な表現もありますが、都心の大病院の臨床現場の部長として長年執刀をされて来られた方だけに、直接お話しを伺って、目のウロコが2.3枚はがれた思いでした。

・マスコミの問題点
記者が責任の明らか出ない言説を反復しているうちに、マスコミ通念が形成される。これが「世論」として金科玉条になる。ここでマスコミ通念に反することは報道されない。記者は詳しく調査することも、反対意見を吟味することもなく、同じような報道を繰り返す。一定の条件を持つ言説を報道システムに投入すると、自動反復現象が発生する。

・警察の問題点
現行法に則って、できるだけ犯罪を立証しようとするのが警察の役目であるなら、医療事故発生の際に業務上過失致死傷の構成要件を満たすのは、比較的容易である。その場合たいていの医師を犯罪者にすることができ、警察が警察の論理だけにしたがって医療従事者を犯罪者にすべく行動すると、医療は崩壊する。例えば、手術には技量の差があり、どこまで技量の差が許されるかの標準はない。結果が悪かったときの手術ビデオからは、技術上の瑕疵は必ず指摘できる。こうした技術畳の瑕疵について、必ず刑事責任を問うとすれば、医師は手術をためらわざるをえなくなる。

・事故責任の取り方の問題点
刑法は個人の責任を問うものであり、システムや個人の能力を扱うものではない。いくら犯人捜しをして医師個人に刑事責任を追及しても、その後の世界は何も変わらない。必要なのは処罰よりも、システムの改善、医師の再教育、免許の停止・制限などである。

・開業医の問題点
勤務医から開業医へのシフトが進み、病院で必要な医師数が確保できていない。一部の開業医では、複雑で高度になった病院の医療を代替できないし、また一部の開業医が責任を負うことを敬遠し、自分たちに十分担える医療まで病院に押しつける傾向があり、国民の病院への依存度が必要以上に大きくなっている。

・大学院制度の問題点
1.大学院に進学すると、外科医のトレーニングのもっとも重要な時期を基礎研究に費やすことになり、臨床医としての技量が低くなる。2.薄給の大学院生はアルバイトで生活費を稼ぐが、アルバイトでの診療はどうしてもその場しのぎになり、臨床医としての責任感が希薄になる。3.大学医局では大学院卒業して学位を得た医師を人事上、優遇する。そこで行われた基礎研究は臨床現場に直接役立つものではなく、優遇されなかった医師の勤労意欲を奪う。

・大学病院医局による医師引き上げの仮想例
A市立病院では、B大学に医師派遣を任せる形で病院を運営していた。B大学医局から派遣されていた医師は数年のローテーションでいずれ地域を去ってしまうため、診療に必要な医師数を確保できず、常勤医がいない科が常態化し、経営がいきづまっていた。そこで他の病院経営を立て直した医師を三顧の礼を尽くして、新院長に迎えた。新院長は特定の大学でなく、複数の大学から広く人材を集めて、病院を運営することを提案した。しかしB大学は院長人事に反発して、医師を引き上げた。医師招聘は、短期間で実現できるものではない。市長は医師が集められないことを理由に、三顧の礼を尽くして招聘した院長を着任後数ヶ月で解雇する動きに出た。市と新院長との紛争は訴訟に発展した。最終的に一年後、院長は辞任し、市は全く別の大学から新しい院長を迎えた。医師も大幅に入れ替わった。勤務医の病院経営に対する信用は落ち込み、病院経営はさらに容易でないものになってしまった。医局は地方病院への医師の供給源だが、医局外の広い範囲からの医師の供給を阻害している。

・厚生労働省の問題点
薬害エイズ事件では、極めて優秀でかつ、当時世界の情報を迅速に集めて分析し、許す範囲で最大限に対応した厚生労働省の担当者が、事件ではメディアから徹底的に叩かれた。省内ではどんなに真面目に対応したとしても、被害者が出ると犯罪者になりかねないというの共通認識が形成された。メディアが攻撃を始めると誰もこれを止めることができず、官僚が自らの責任を回避するためには、ルールを際限なく厳しくするしかない。現在、あらゆる基準、規則が非現実的レベルにもまで厳しくなっている。このため、新薬の臨床試験に想像を絶する手間がかかるようになり、薬品メーカーは日本で新薬を発売する意欲を低下させた。社会の活力が低下したのである。厚生労働省は、メディアの攻撃をきっかけに、自分の判断とイニシアチブを放棄し、責任回避に走ってしまった。官僚が責任回避した後を埋める主体がどこにもいない。

・医療崩壊の先例としてのイギリスの立ち去り型サボタージュから何を学ぶか
地方の病院で医師不足が目立っているが、これは地方だけでなく都会でも同じ事がいえ、大病院であっても医師集めに苦労している。立ち去り型サボタージュのために医師不足になっているのであり、その原因は勤務医が絶望していることにある。そこに残りたくなるような魅力ある研修や技術を磨くための機会を提供する努力をすべきである。ロールモデルとなるような実力ある医師を招聘して、深い思索と水準の高い医療で医学生を魅了すべきである。地方の病院は今までのように医局べったり依存せずに、病院を魅力あるものにする自助努力が必要である。地方の小規模な自治体病院は運営のための自治体負担が重いし、結果的に医療の水準を下げてしまうことから、医療危機のなりゆきによっては、積極的に民営化していくか統合していくべきである。