共立病院の創始者は、畠山靖夫先生です。磐城共立病院の前身は昭和25年に、複数の市町村組合立として、畠山靖夫院長はじめ医師5名、ほとんどが准看護師の看護師14名など総職員数33名、病床数 50床で内科、外科、産婦人科の3 科で開設されました。開院10年目の昭和35年には病床数730床、 医師21名、看護師77名の構成と大きく成長し、昭和37年に総合病院に認可されま した。昭和41年にいわき市立に移行しましたが、当時の病床数は783床、医師数32名、看護師数107名の東北でも1.2を争う規模と、質を誇る総合病院だったそうです。現在は、病床数 828床、医師数110名、看護士数660名ですが、その礎を築いたのは、間違いなく、畠山靖夫先生です。草野心平氏とともに、歴代で2名しか選定されていない、「いわき市名誉市民」のひとりです。

その畠山先生を偲んで、共立病院の2階に「畠山記念室」を銘打たれた部屋があります。非公開ではないものの、共立病院内の事務棟の中にあるため、一般市民でその存在を知っている方は、ごく少数だと思います。記念室には、在りし日の畠山先生の近影や思い出の品が陳列されていました。

13

簡素な陳列ではありますが、当時先生がお使いになっておられた聴診器や、身につけられたいた品物が置かれていました。当時の様子や空気を感じることができるのではないでしょうか。新病院には市民に開放された図書室が併設されるとのこと。可能であればその図書室の一画に、先人の足跡として丁寧に陳列して欲しいと思っています。

40

先生の業績を称えるひとつのツールとして、優れた研究や論文を書いたスタッフに対して、毎年「畠山靖夫賞」が贈られるとのこと。このような形でお名前が記憶されるならば、先生も草葉の陰で喜んで頂けるのではないでしょうか。

04

当時の「磐城共立病院」の看板が保管されていました。現在、新病院の建設が計画されていますが、(新病院の名称は決まっていません)、正面のどこかに過去の歴史の上に現在があることを端的に示す、この看板を使ってもらえないでしょうか。

31

「慈心妙手」は、仏典に由来する言葉で、患者さんを慈しみ思いやる心と、病気を治すための優れた医療技術のことを表しているそうです。現在の共立病院の基本理念となっている言葉です。畠山先生の恩師が自筆で書いたものが保管されていました。

19

なぜか病院屋外の第3駐車場に、畠山先生の碑が置かれています。「患者さんあっての病院」、当たり前のようですが、それが(いろいろな理由で)当たり前にできなくなってしまうことが、問題なのかもしれません。

07

 「過去に目を閉ざす者は、未来に対してもやはり盲目になる」。1985年のドイツのワイツゼッカー大統領の議会演説です。「小人は経験に学び、大人は歴史に学ぶ」ともいいます。過去の先人の歩んだ足跡をきちんと理解し、その上で、今後を考えていくという謙虚なスタンスでいたいものです。