天田愚庵の110回忌法要に参加しました。天田愚庵は、いわき出身の武士・歌人で漢詩や和歌に優れ、俳人正岡子規にも影響を与えたといわれる方です。さまざまな方面の才覚に恵まれた方だったそうです。

<略歴>
安政元年 磐城平藩主安藤信正の家臣、甘田平太夫の五男として平城下に生まれる。
明治元年 15歳で戊辰の役に出陣中、父母妹が行方不明となる。以後20年間、肉親を捜して全国を歩く。その間、山岡鉄舟の知遇を受け、また一時、清水次郎長(山本長五郎)の養子となる。この時期「東海遊侠伝」を出版、その後の「次郎長もの」の種本となっている。
明治20年 34歳のとき滴水禅師によって仏門に入り、鉄眼と号する。
明治25年 京都清水に庵を結んで「愚庵」を名乗る。
漢詩において異彩を放ったばかりでなく、万葉調歌人としてすぐれ、正岡子規に大きな影響を与える。
明治37年 京都伏見桃山の庵で没した。享年51歳。
 
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京都伏見桃山の庵は、愚庵自らが設計したものとされていて、現在はいわき市の松ヶ岡公園内に移築されています。愚庵の銅像は、市内の彫刻家小瀧勝平市の製作によるものです。等身大なのでしょうか、銅像としてはやや小ぶりに見えます。重量は(台座を除いて)約130kgだそうです。

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愚庵が亡くなった後は、民間に売却されましたが、ついに解体撤去されることとなり、その際にいわき市がそれら建築材を譲り受け、昭和41年に有志により伏見桃山からここに移築復元されました。前庭にある池も復元されていますが、管理を考慮して水は張られていません。当時は、これに月を移して室内から眺めることができたそうです。

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頭をぶつけそうなくらい低い門をくぐると、庵(こちらがホンモノ)と集会所(訪れる人用に新築)の2棟があります。
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法要の後に、西島雅博氏による講演がありました。西島氏が現在、天田愚庵の小説を今年中の完成を目指して執筆中とのこと。いわきの偉人がどのように描かれるか楽しみです。

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