社会全体が、ルールや常識を守ることで得をする、一部の人間がいます。しかしながらルールや常識を守る人達は、その意味や本質を考えることなく、ただ皆と同じ行動から外れたくないからそれを守っています。典型が、メディアから与えられる情報やCMなどによって刷り込まれている価値観です。

一部の人間が得する情報を、ただ受け身で摂取する。この本は、そのような、情報に対してただ受け身で、その本質を考えないような人達のことを「情弱」(情報弱者)と呼び、そうならないように警鐘を鳴らし、自分の考えと判断と価値観で生きていくことを勧めるという内容の本です。ロバート・キヨサキ氏の言うところの「耳と耳の間にあるもの」=頭脳で考える。出来る限り一次情報・情報源にあたり、その情報の意図や仕組みを見抜く必要がある。そして自分の考えや価値観と対極にある情報も一旦取り入れて考え抜く、という考え方と一脈、通じています。

著者の午堂登紀雄氏は、米国公認会計士で、コンサルティング会社等勤務後、現在は自らもFX投資、不動産投資をはじめ、その経験をこれまで、たくさんの著書で資産の作り方を書いてきた方です。そこから一歩踏み込んで、日本社会に搾取される人がいかに多いかに憤慨して書いたものだと思います。 
_SS500_

(出版社からのコメントより)
「情弱」とは、いわゆる「情報弱者」のことで、有益な情報を得られない人、得たとしてもその情報に対して適切に対応できない人のことです。 「一人負け」というのは、経済的・時間的・精神的に搾取される、不利益を被る、あるいは得られたはずの機会を逃す、という意味です。 裏を返せばこれは、情弱から搾取している“誰か"の存在をほのめかしてもいます。 “誰か"とは、ルールを作る人、常識を作る人、情報を発信する人です。彼らが日本のブラック化を推し進めています。 しかし、そこに気がつかない情弱は、映画「マトリックス」の人類のように、彼らが作った枠組みの中で生きることを強制されてしまいます。 にもかかわらず、情弱は彼らが作ったルール(常識・モラルなども含む)を守ることに非常に忠実で従順です。 情弱は、そのルールが場合によっては正しくないこともあるとか、自分に有利か不利かということは考えません。 ただひたすらルールを守ることが情弱にとっての正義なので、ルールを守らない人を見つけると我慢できず、いっせいに非難し、叩こうとします。 情弱は安全圏から人に石を投げつけるのが大好きです。 代案も出さずに正論を吐き、正義面だけはしたいという、ムシの良い欲求を持っています。 そして、日頃満たされない自尊心を保つために、あるいは鬱憤晴らしのために、自分には能力がないと認めずに済むように、誰かをおとしめることで溜飲を下げるだけなのです。 情弱はルールの本質を考えないし、自らルールを作ろうとも変えようともしない。 だから他人が作った、他人に有利なルールを守らされてしまうのです。 そうして、なくても困らない商品、どうでもいい商品を巧みなマーケティングによって買わされ、お金が減っていく。 さらに、そのためによけい働かなくてはいけなくなる。 いつの時代も情弱は搾取され続けてきたのです。 では、どんな人が情弱および情弱予備軍なのでしょうか。 たとえば下の問いに対して、合理的な説明をできるかどうか。 もしできないとしたら、かなり高い確率で情弱の疑いがあります。

■なぜあなたの手帳は真っ黒なのに通帳は真っ白なのか
■なぜ最新ガジェットで武装した先進的な人がカモられているのか
■なぜダイヤモンドを買ってはいけないのか
■なぜブラック企業を批判してはいけないのか
■なぜあなたはホワイト企業に入れないのか
■なぜノマドワーカーを否定してはいけないのか
■なぜ人に迷惑をかけない人が没落するのか
■なぜ日本脱出が本当の愛国になるのか
■なぜデフレは不況の原因ではないのか
■なぜあなたはアベノミクスで損するのか