お伊勢参りは、外宮→内宮の順で回ります。
<外宮については、コチラ>
http://www.mikito.biz/archives/31736918.html

内宮の正式名称は、皇大神宮。祭神は、万物を育む太陽にも例えられる日本人の総氏神たる、天照大御神です。大八洲という日本を作ったのはイザナギですが、イザナギが黄泉の国から帰ってきて禊ぎをした際に、イザナギの左目から生まれたのが、この天照大神です。その兄弟には月読(右目から生まれた)とスサノオ(鼻から生まれた)がいます。内宮は五十鈴川上流に造営されたのは、今から2000年前のこと。神宮の宮域は約5,500万㎡で、伊勢市の約1/4の広さです。

宇治橋に立つこの鳥居は、内宮の棟持柱を再利用して作られているそうです。遷宮にかかる費用は550億円を越えるといわれており、その全てが神宮への寄進・寄付でまかなわれているそうです。なお、伊勢市の一般会計予算は450億円程度であり、遷宮コストはそれを大きく上回っています。

それほどの膨大な費用をかけても式年遷宮が20年ごとに行われる理由は、いろいろあるようです。
1. 建物の「清浄さ」を保つ限度
神道の精神として、常に新たに清浄であること(「常若(とこわか)」)のため。
2. 建替えの技術の伝承
20年に一度の遷宮であれば、大工が少なくとも2度は遷宮に携わることができ、2度の遷宮を経験すれば技術の伝承を行うことができる。
 
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有償ボランティアの「お伊勢さん観光案内人」の方にご案内いただきました。これは伊勢商工会議所が主催する検定「お伊勢さん」に合格した者だけが名乗ることができ、単に「お伊勢さん」の知識を伝えるだけでなく、歴史的背景やそれが伊勢の方にどのように影響しているか等を、一緒に内宮・外宮をまわっていただきながら紹介していただきました。自らも伊勢市民かつ神領民で、白石持ち行事には3回参加したことがある、信心深い方でした。
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内宮の表玄関が宇治橋です。式年遷宮の一貫として、一足早く新しい橋に架け替えられていました。宇治橋から右側通行になります(外宮は、左側通行)。鳥居の前で一礼し、聖界に入ります。
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木除け杭。大雨の際に流木が宇治橋の基礎を傷つけないように少し上流に置かれています。どれほど効果があるかどうかは定かではありませんが、全く同じ形式を引き継いで建築されています。
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神苑(しんえん)です。江戸時代には、ここいら一帯に御師(おんし)の建物が数百棟も建ち、御師町を形成していたそうです。御師とは、神宮に所属し神宮へ参詣者を案内し、参拝・宿泊などの世話をする者のことで、全国各地に派遣され、現地の伊勢講の世話を行っていました。具体的には、参詣者が伊勢参りに訪れた際には自己の宿坊で無料で迎え入れて、年間数百万人が訪れた、「おかげ参り」のお手伝いをしたそうです。しかし、明治に入ると、新政府が強大な影響力を持つ御師を弱体化させるために、これらの宿坊はすべて取り壊してしまったそうです。今、見ることができる神苑は、緑豊かな庭園ですが、そんな生々しい歴史がたった150年前にあったことに驚かされます。

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ここにも「さざれ石」と呼ばれる岩がありました。悠久の時の代名詞ですが、この岩からは松が直接自生しており、長い年月を体現していました。

<さざれ石@京都嵐山は、コチラ>
http://www.mikito.biz/archives/26548227.html
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他の神社に必ずあって、神宮にないものがいくつかあります。
1. 狛犬がいない(神宮は、狛犬=高麗犬が伝来する前からの神社形式のため)
2. 鰐口(鳴らす鈴)がない(理由:同上)
3. おみくじがない(参拝すること自体が、大吉だから)

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御手洗場(みたらし)です。内宮のお参りの前に五十鈴川で清流で手を清め、心を澄ませるのが本来の作法です。当時はこの御手洗場では手洗いだけではなく、口濯ぎまで行われていました。徳川綱吉の生母、桂昌院が寄進したといわれる石畳が敷き詰められています。
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今年の五十鈴川の水量は、異常に少ないそうですが、川の上流は(人が立ち入れない)神域ですから、清流には間違いありません。ハゼの仲間らしき小魚をたくさん見つけることができました。
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神楽殿では、個人祈祷をお願いし舞を納めることができます。初穂料は15,000円からとのことですが、特別大々神楽等をお願いする場合は、50万円からだそうです。神様にお願い事を聞いて頂くために、神様にお気持ちや初穂料でもって、舞を奉納するわけです。神様に楽しんで頂くという意味で「神楽」という言葉を使うそうです。ですので、よく見ると神楽の舞い手は、主に(奉納者でなく)神様の方を向いて舞うそうです。
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御贄調舎(みにえちょうしゃ)です。内宮のお祭りの際に、外宮の神、豊受大御神をお招きして、正宮の御前で鮑を調理する儀式が行われるそうです。これは豊受大御神が天照大御神のお食事を司る神として伊勢に招かれたことを象徴しています。
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いよいよ日本一の神様である天照大神のご神前へ。階段から先は撮影禁止エリアです。重厚な石段を一段ずつ上り、白い御幌(みとばり)の前に立って、お参りをしました。
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内宮を撮った写真が、「いせびとニュース第12号」表紙に掲載されていましたので、転載します。お白石行事の際に、神領民が内宮の最深部に入ったときの写真で、とても貴重なものです。
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内宮の正宮も、式年遷宮に向け、まったく同じ建物が隣接地に完成しています。10/2の遷都の儀式、すなわち三種の神器の一つである八咫鏡(やたのかがみ)を、移動します。なお、八咫鏡が最後に人の目に触れたのは、明治天皇が最後です。明治天皇が、汚損や盗難等を避けるため封印をしたため、その後誰も現物を見たことがないことになっています。今回の遷宮でも八咫鏡は封印された状態で移動するため、誰もその姿形を見ることはできません。

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御稲御倉(みしねのみくら)では、神宮独特の建築様式である神明造を、間近出見ることができます。お米の神様である稲魂(いなだま)が奉られ、1年分の稲が納められているそうです。
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神明造は、古代の高床式穀倉の発展形で、屋根は切妻・茅葺き、柱は檜の素木を地中に埋める掘立式です。建物全体は(出雲大社等と比べて)直線的で、棟の上には鰹木(かつおぎ)が並び、屋根の両端には千木(ちぎ)が伸びています。

ちなみに各建物の鰹木の本数は異なるのですが、内宮は全て偶数本、外宮は全て奇数本となっています。千木も内宮は全て内削(うちそぎ)といって、先端が地面と水平になっているのに対し、外宮は全て外削(そとそぎ)といって、先端が地面と垂直になっています。もっといえば、内宮の千木には、途中に風穴と呼ばれる穴が2つ半あるのに対して、外宮は2つの風穴となっていて、統一と相違感を出しています。
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気になっていたのは、地面に直接、構造柱が立つ掘立式では、地面の湿気を木が吸ってしまい、遷宮期間である20年の間に朽ちてしまうのではないかということです。よくみると地中部分の柱には銅が巻かれており、湿気対策が図られいて、納得しました。
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風日祈宮橋を渡ったところに、風日祈宮(かざひのみのみや)があります。外宮の風宮と同じ神様が奉られています。
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子安神社の祭神である木華開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)は、天孫降臨した邇邇芸命(ににぎのみこと)の后でたいそうの美女だったそうです。初代天皇である、神武天皇の祖母にあたる方です。神宮が関与しない民間信仰で、ここに木のお札を奉納すると子宝に恵まれるという噂が広まり、お札がたくさん奉納されていました。
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木華開耶姫命は、安産や子授けの、縁結びの神様として信仰されています。桜を象徴する女神のため、手水場も可愛らしい桜マークになっていました。
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1年間に600万人、20年間で1億人以上が渡るという宇治橋。その間、橋の表面が数センチ減るそうです。なお式年遷宮に内宮で使用される木材は、船曳きといって五十鈴川を使って船で運ばれ、この河原から引き上げられます。
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皇室が所有する神宮の敷地は5,500haにも及び、伊勢市の1/4、世田谷区ほどの大きさで、人の手がまったく入らない自然林も多く残されています。運営・管理している神社本庁の神宮祭主は、池田厚子(旧名・厚子内親王 昭和天皇の四女)さんです。本来、私幣禁断(しへいきんだん)といって、神宮は本来個人的な祈願の場所ではありません。神宮はもともと、天皇親祭として、天皇陛下が国のことを祈るための場所で、江戸時代は天皇陛下の代理として神職が常駐していました。祭神の天照大御神は神武天皇の直系祖父の祖父(5代前)であって、その意味ではご自分の祖先を祭っているわけでもあります。今なお、外宮・内宮の正宮の御垣内には許可を受けた人以外は入れないし、そのさらに奥の御門内には天皇陛下と神職しか入れません。現在は、神宮がひとつの宗教法人となってしまい形式的には皇室と切り離されてしまったものの、だからこそいろいろな秘密があるのでしょう。