思うところあって願をかけに、お伊勢参りをしてきました。ちょうど20年に一度の式年遷宮の真っ最中であり、大変多くの参拝客が訪れていました。神宮では、原則として20年ごとに、内宮・外宮の二つの正宮の正殿、14の別宮の全ての社殿 合計125の建物を造り替えて神座を遷します。このとき、宝殿外幣殿、鳥居、御垣、御饌殿などの殿舎のほか、装束・神宝、宇治橋なども造り替えられます。なお、一般的には伊勢神宮と呼ばれていますが、正式には「神宮」(じんぐう)です。
江戸時代にはお伊勢参りが流行し、江戸から約20日間かけて伊勢に徒歩で移動したそうですが、現在では東京-名古屋間が、新幹線のぞみで1.5時間、名古屋-伊勢市間が、近鉄特急で1.5時間です。7:00am前に東京駅を出発すれば、10:30amには、神宮の前に立つことができ、交通アクセスは抜群です。
伊勢市駅ではほとんどの乗客が下車し、徒歩5分くらいの場所にある「外宮」を目指します。駅前ロータリーには、白無垢の大鳥居が設置されています。これは式年遷宮で不要になった神宮内の大鳥居の檜を、再度カンナをかけて、新品同様の状態に戻して、駅前に復元したものです。
神宮は一つのお宮のことを指すのではなく、五十鈴川のほとりに広がる内宮と、伊勢市の市街地にある外宮の2つの正宮を中心に別宮、摂社、末社、所管社から成り立つ125社の総称です。所有は宮内庁ですが、神社本庁に所属し全国約8万の神社の本宗としての位置づけです。
外宮の正式名称は、豊受大神宮(とようけだいじんぐう)です。おまいりは外宮から内宮の順で回るのが古来からの習わしです。まずは手水舎(てみずしゃ)で、お清めをしてから神宮内へ入ります。恥ずかしい話ですが、柄杓ですくったお水を5回に分けて浄めるとう手水の順番と意味を、はじめて知りました。
第一の鳥居。これも当然ですが、式年遷宮にあたって作り替えられているため、新品です。神宮式年遷宮は、飛鳥時代の天武天皇が定め、持統天皇の時代に第1回が行われました。その後、幾度かの延期などはあったものの、およそ1300年にわたって行われています。現在、第62回式年遷宮の各行事が進行中で、今年2013年10月2日には、正遷宮(神体の渡御)が予定されています。
このお榊が、神の領域(神域)と一般の世界を分ける標識になります。鳥居をくぐるたびに神域に近づきますので、一礼をしてから通ります。
神職が身を清める建物です。外宮には豊受大御神が祭られており、この神様は内宮にいらっしゃる天照大神にお食事をお供えする役割の神様のため、毎日2回神職が豊受大御神に成り代わり、食事を用意します。そのために、神職は一年のうち約半分をこちらの建物で宿泊しながら、活動します。神職100名、舞姫30名が所属し、神宮全体では570名が勤務しているそうです。
参道は、うっそうとした木々に囲まれ、頭上から朝日が差し込む様子は、一般的な言いまわしで恐縮ですが、心が洗われるような清々しい気持ちにさせてくれます。東京にも明治神宮があり、森の中は似た雰囲気がありますが、歴史の長さはまったく異なります。
第2の鳥居をくぐると、もうすぐ正宮です。なお、参道の中央は正中(せいちゅう)といい、神様の通りみちとされていので避けて歩きます。外宮は左側通行、内宮は右側通行です。
神楽殿は、舞姫(いわゆる、巫女さん)の舞が執り行われる場所です。一般の方も祈祷・舞・神楽の奉納をお願いすれば、やって頂くことができます。
初穂料には一定の目安が示されており、神楽でいえば思いの大きさによって、舞の内容が変わるそうです。
外宮の正宮(しょうぐう、と読みます)です。外宮のなかではもっとも重要なお宮です。板垣の鳥居の向こうが御垣内(みかきうち)と呼ばれる神域で、四重の垣根に囲われた一番奥の内院に豊受大御神が鎮座する正殿がたっています。一般参拝客はここで参拝しますが、現役閣僚等は正面の建物に一歩入って参拝できます。さらに皇族は次の建物の前で参拝できます。さらに皇太子は、次の建物に入ることができます。そして天皇のみが最後の建物内に入っての参拝が許されています。
豊受大御神は天照大神の食事を司る女神で、衣食住、農業や漁業の神様として信仰されています。お賽銭箱はなく、その代り白い布で覆われた場所が用意されています。
隣接する新御敷地(しんみしきち、といいます)には、現在の正宮とまったく同じ形での正宮が建設済みで、10月2日20:00に行われる遷都の儀式を待っています。
一色町の方々による白石持行事が行われていました。これは四万十川から採集した「お白石」を正殿用地(新御敷地)に敷き詰める行事で、遷御後は、絶対に立ち入ることのできない、正殿そばまで入ることができる唯一の機会です。といっても誰でも参加できるわけではなく、基本的には、神領民という伊勢市周辺77町村民が対象です。伊勢の「白石持ち」行事として、国の選択無形民俗文化財に選択されているそうです。
高宮(たかのみや)です。正宮が神の静かな心を祭っているのに対し、荒宮は神の力強い、荒ぶる心を祭っている処です(外宮には高宮、内宮には荒祭宮(あらまつりのみや)があり、同様の関係性です)。正宮にお参りする際は個人的な願い事をせず、お参りにきた事をお伝えいただき、個人的なお願い事をされたい方は荒宮へお参りすべきとのこと(これは外宮でも内宮でも同じ)。一生懸命、願掛けをしました。
土宮(つちみや)です。神宮は2000年前に倭姫命(やまとひめのみこと)が、この地に場所を定めましたが、それ以前から土着していた大土乃御祖神(おおつちのみおやのかみ)とされる神々を祭っているといわれています。
風宮(かぜのみや)の祭神は、風雨を司る神とされる級長津彦命(しなつひこのみこと)と級長戸辺命(しなとべのみこと)です。本来は農耕に適した風雨をもたらす神でした。元寇の神風はの神様が起こしてくれたもので、以降は日本の国難に際して日本を救う祈願の対象となりました。
神馬の厩舎です。絵馬とは本来、願を掛ける際に馬を神に献上すべきところ、それは奉納する方も受ける方も大変だということで、木に馬の絵を描いて奉納する絵馬ができたいうことを、はじめて知りました。
御白石行事の行列を見ることが出来ました。全体では20万人以上が参加する行事とのこと。装束に身を固めた77町村の神領民が、1000人単位で大行列で行進する様は、圧倒されました。
陸引きといって、奉納する白石を樽に詰め、人力で運びます。内宮の場合、五十鈴川がそばにあるので船で運ぶことができますが、外宮は内陸にあるため、こういった大八車のようなもので運びます。その間、木遣り等の歌を歌いながら、また勇壮に走ったりするパフォーマンスもあります。
直接曳いているのは数十人の大人達です。参加している方に伺うと、この奉納に参加できること自体、非常に晴れがましいもので、ありがたいとのこと。神社に指定された川(土佐の四万十川)の上流まで、指定された白石を取りにいき、ここまで運び、奉納させていただく、すべてが奉納者負担です。それでも20年に一度のこの行事に参加することは、神領民の誇りであるそうです。
ここからタクシーに10分乗って、外宮→内宮へ移動します。
<内宮については、コチラ>
http://www.mikito.biz/archives/31774680.html
江戸時代にはお伊勢参りが流行し、江戸から約20日間かけて伊勢に徒歩で移動したそうですが、現在では東京-名古屋間が、新幹線のぞみで1.5時間、名古屋-伊勢市間が、近鉄特急で1.5時間です。7:00am前に東京駅を出発すれば、10:30amには、神宮の前に立つことができ、交通アクセスは抜群です。
伊勢市駅ではほとんどの乗客が下車し、徒歩5分くらいの場所にある「外宮」を目指します。駅前ロータリーには、白無垢の大鳥居が設置されています。これは式年遷宮で不要になった神宮内の大鳥居の檜を、再度カンナをかけて、新品同様の状態に戻して、駅前に復元したものです。
神宮は一つのお宮のことを指すのではなく、五十鈴川のほとりに広がる内宮と、伊勢市の市街地にある外宮の2つの正宮を中心に別宮、摂社、末社、所管社から成り立つ125社の総称です。所有は宮内庁ですが、神社本庁に所属し全国約8万の神社の本宗としての位置づけです。
外宮の正式名称は、豊受大神宮(とようけだいじんぐう)です。おまいりは外宮から内宮の順で回るのが古来からの習わしです。まずは手水舎(てみずしゃ)で、お清めをしてから神宮内へ入ります。恥ずかしい話ですが、柄杓ですくったお水を5回に分けて浄めるとう手水の順番と意味を、はじめて知りました。
第一の鳥居。これも当然ですが、式年遷宮にあたって作り替えられているため、新品です。神宮式年遷宮は、飛鳥時代の天武天皇が定め、持統天皇の時代に第1回が行われました。その後、幾度かの延期などはあったものの、およそ1300年にわたって行われています。現在、第62回式年遷宮の各行事が進行中で、今年2013年10月2日には、正遷宮(神体の渡御)が予定されています。
このお榊が、神の領域(神域)と一般の世界を分ける標識になります。鳥居をくぐるたびに神域に近づきますので、一礼をしてから通ります。
神職が身を清める建物です。外宮には豊受大御神が祭られており、この神様は内宮にいらっしゃる天照大神にお食事をお供えする役割の神様のため、毎日2回神職が豊受大御神に成り代わり、食事を用意します。そのために、神職は一年のうち約半分をこちらの建物で宿泊しながら、活動します。神職100名、舞姫30名が所属し、神宮全体では570名が勤務しているそうです。
神職になるには、神道学科のある皇學館大学(三重県伊勢市)と國學院大學(東京都渋谷区)で、所定の課程を修了することが王道とのこと。他にも神宮内の神職養成所に通う方法もあり、意外に門戸は開かれています。また舞姫になるには、特に資格要件はありません。通常、高校卒業後、就職面接と同様、神宮での面接を経て採用されるそうです。
参道は、うっそうとした木々に囲まれ、頭上から朝日が差し込む様子は、一般的な言いまわしで恐縮ですが、心が洗われるような清々しい気持ちにさせてくれます。東京にも明治神宮があり、森の中は似た雰囲気がありますが、歴史の長さはまったく異なります。
第2の鳥居をくぐると、もうすぐ正宮です。なお、参道の中央は正中(せいちゅう)といい、神様の通りみちとされていので避けて歩きます。外宮は左側通行、内宮は右側通行です。
神楽殿は、舞姫(いわゆる、巫女さん)の舞が執り行われる場所です。一般の方も祈祷・舞・神楽の奉納をお願いすれば、やって頂くことができます。
初穂料には一定の目安が示されており、神楽でいえば思いの大きさによって、舞の内容が変わるそうです。
外宮の正宮(しょうぐう、と読みます)です。外宮のなかではもっとも重要なお宮です。板垣の鳥居の向こうが御垣内(みかきうち)と呼ばれる神域で、四重の垣根に囲われた一番奥の内院に豊受大御神が鎮座する正殿がたっています。一般参拝客はここで参拝しますが、現役閣僚等は正面の建物に一歩入って参拝できます。さらに皇族は次の建物の前で参拝できます。さらに皇太子は、次の建物に入ることができます。そして天皇のみが最後の建物内に入っての参拝が許されています。
豊受大御神は天照大神の食事を司る女神で、衣食住、農業や漁業の神様として信仰されています。お賽銭箱はなく、その代り白い布で覆われた場所が用意されています。
隣接する新御敷地(しんみしきち、といいます)には、現在の正宮とまったく同じ形での正宮が建設済みで、10月2日20:00に行われる遷都の儀式を待っています。
一色町の方々による白石持行事が行われていました。これは四万十川から採集した「お白石」を正殿用地(新御敷地)に敷き詰める行事で、遷御後は、絶対に立ち入ることのできない、正殿そばまで入ることができる唯一の機会です。といっても誰でも参加できるわけではなく、基本的には、神領民という伊勢市周辺77町村民が対象です。伊勢の「白石持ち」行事として、国の選択無形民俗文化財に選択されているそうです。
高宮(たかのみや)です。正宮が神の静かな心を祭っているのに対し、荒宮は神の力強い、荒ぶる心を祭っている処です(外宮には高宮、内宮には荒祭宮(あらまつりのみや)があり、同様の関係性です)。正宮にお参りする際は個人的な願い事をせず、お参りにきた事をお伝えいただき、個人的なお願い事をされたい方は荒宮へお参りすべきとのこと(これは外宮でも内宮でも同じ)。一生懸命、願掛けをしました。
土宮(つちみや)です。神宮は2000年前に倭姫命(やまとひめのみこと)が、この地に場所を定めましたが、それ以前から土着していた大土乃御祖神(おおつちのみおやのかみ)とされる神々を祭っているといわれています。
風宮(かぜのみや)の祭神は、風雨を司る神とされる級長津彦命(しなつひこのみこと)と級長戸辺命(しなとべのみこと)です。本来は農耕に適した風雨をもたらす神でした。元寇の神風はの神様が起こしてくれたもので、以降は日本の国難に際して日本を救う祈願の対象となりました。
神馬の厩舎です。絵馬とは本来、願を掛ける際に馬を神に献上すべきところ、それは奉納する方も受ける方も大変だということで、木に馬の絵を描いて奉納する絵馬ができたいうことを、はじめて知りました。
御白石行事の行列を見ることが出来ました。全体では20万人以上が参加する行事とのこと。装束に身を固めた77町村の神領民が、1000人単位で大行列で行進する様は、圧倒されました。
陸引きといって、奉納する白石を樽に詰め、人力で運びます。内宮の場合、五十鈴川がそばにあるので船で運ぶことができますが、外宮は内陸にあるため、こういった大八車のようなもので運びます。その間、木遣り等の歌を歌いながら、また勇壮に走ったりするパフォーマンスもあります。
直接曳いているのは数十人の大人達です。参加している方に伺うと、この奉納に参加できること自体、非常に晴れがましいもので、ありがたいとのこと。神社に指定された川(土佐の四万十川)の上流まで、指定された白石を取りにいき、ここまで運び、奉納させていただく、すべてが奉納者負担です。それでも20年に一度のこの行事に参加することは、神領民の誇りであるそうです。
ここからタクシーに10分乗って、外宮→内宮へ移動します。
<内宮については、コチラ>
http://www.mikito.biz/archives/31774680.html