昨今の企業の起こす不祥事、混迷を深める経済社会、迷走する政治等、様々な問題の根源は「法令遵守」の考え方そのものにあると思われてなりません。そのような考えをベースとして、元検事・法科大学院教授の異色のオピニオンリーダーが、官製談合、ライブドア、村上ファンド、耐震偽装などの最近の経済事件を通して、法治国家・日本の病理に迫っています。
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ライブドア事件、村上ファンド事件、耐震データ偽造事件、不二家、パロマ、東横イン、そして各地で発覚し続ける談合問題は、うわべだけのコンプライアンスこそが、組織を蝕む元凶といってよいでしょう。問題が発覚すすと、経営陣が記者会見で、「申し訳ございません。違法行為を二度と起こさないよう、コンプライアンスを徹底いたします」と一斉に頭を下げます。こんな光景は、不祥事を起こした際の謝罪会見で、何度繰り返されてきたことか。もはや企業が法令遵守の姿勢を表明するための常套句になっています。しかし、本当に法令遵守するだけでいいのでしょうか。こうした「コンプライアンスとは単に法を守ること」と考える法令遵守原理主義そのものが、会社はおろか、この国の根幹をも深く着実に蝕んでいるのではないか。この本では、世の中に蔓延する「コンプライアンス病」の弊害を取り上げ、法治国家とは名ばかりの日本の実情が明らかされています。

冒頭の「日本は法治国家か」という問いが鋭い。官製談合、ライブドア事件、耐震偽装などの事件について、そもそも何故これらが事件になったのか。表面的な対応の限界と本質的なコンプライアンスとしての対応はどのようであるべきか示唆を与えてくれる。すなわち、「法令の背後にある社会的要請に応えていくことこそがコンプライアンスであると認識し、その観点から組織の在り方を根本的に考え直してみることが重要」。これからは単に法律違反をしないだけでなく、法律が定められた背景をよく考えた行動をとるということです。これは肝に銘じたい。

問題が生じるたびに、企業の中での法令遵守は、その周知徹底にばかり対応が集まり、その場しのぎ的な火消しの対応が繰り返されています。本来、企業の社会的責任を果たす上で、何をせねばならないのか。「終章 眼を持つ組織になる」が著者のメッセージになっていました。