会津藩校日新館の宗像精(むなかたただし)館長がいわき市に来市され、「ならぬことはならぬもの 什の掟から現代を学ぶ」と題したセミナーがありました。
会津藩校日新館は、会津若松城の西隣に東西約120間、南北およそ60間の敷地に水練場や天文台までをも備えた、全国有数の藩校でした。戊辰戦争により校舎は焼失してしまいました。1987年3月に會津藩校日新館として会津若松市河東町に残された図面をもとに完全復元しました。総工費34億円以上だそうです。この施設は、博物館・道場(弓道場・武道場)・研修や宿泊施設・映画撮影所などを兼ねており、各種の武道団体も頻繁に練習や合宿に利用しているそうです。
宗像精氏は会津の中学校長、会津若松市教育委員会教育長を務められた方です。「あいづっこ宣言」を策定した方といったほうが名が通っているかもしれません。「あいづっこ宣言」とは、会津藩幼年者のきまりであった「什の掟を」(下部を参照)ベースに現代の解釈をし、人としてあるべき指針を示した6項目です。
1. 人をいたわります
2. ありがとう ごめんなさいを言います
3. がまんをします
4. 卑怯なふるまいをしません
5. 会津を誇り、年上を敬います
6. 夢に向ってがんばります
やってはならぬやらねばならぬ ならぬことはならぬものです
<参考>什の掟-会津では同じ町内に住む6-9歳の藩士の子供たちが、十人前後で集まり(什 (じゅう))を作り、そのうちの年長者が一人什長(座長)となりました。順番に、什の仲間のいずれかの家に集まり、什長が次のようなお話を一つひとつみんなに申し聞かせ、お話に背いた者がいなかったかどうかの反省会を行いました。これを、ずっと口伝で伝えていったそうです。
磐城平藩には藩校「施政堂(しせいどう)」、湯長谷藩には「致道館(ちどうかん)」、泉藩には「汲深館(きゅうしんかん)」が、それぞれあり、会津藩とほぼ同様の内容で藩士教育を行なっていたそうです。こうした心得の「人としてのあり方」を、現代人は忘れている部分があるのではないか。また自然の偉大な力に対して謙虚にひざまづく姿勢が欠けてきているのではないかと氏は指摘します。特に五常である仁義礼知信のうち、仁と義が、戦後の自由資本主義と高学歴社会の過当競争の中で忘れさられているのではないか。私も心に手を当ててみると、ファイナンスでは、確かに仁に足る行動が評価されるものではなかっただけに、心に沁みます。「義に死すとも、不義に生きず」「利によりて行なえば、怨多し」「凜と生きよ」等、会津の教えは、現代人の心をはっとさせるものがあります。
人としての根本は、親子孝行、次に兄弟姉妹仲良くすること、そして親戚を大事にすることだと言います。それがあってはじめて郷土愛が生まれるのであり、それが高じて愛国心になる。さらに高じれば人類愛になるかもしれないし、もっといけば世界平和につながるかもしれない。ただそれには順番があり、まずは親子孝行からはじめなくてはいけないということ。現代人がその過程をすっ飛ばして、愛国心や世界平和をいうのは、土台がない家屋のようなものであり、危ういというようなことをおっしゃっていて、納得しました。
このあいづっこ宣言は、2年間にわたって試行錯誤し作り込みをして完成したもので、現在、市の教育委員会とタッグを組んで、会津の小中学生に普及を図っているとのこと。会津若松市役所では「あいづっこ推進室」を設け、専属職員4名が普及活動にあたっており、あいづっこ宣言を印刷した名刺大のカードを5万枚を各家庭に配布済みだそうです。家庭によってはこれを壁に貼り、こどものしつけに役立てている(子どもをしかる際に、このあいづっこ宣言のどの項目に反しているかによって子どもを諭す)そうです。将来は、あいづっこの黄金律を守ることにより会津人そのものを差別化・ブランド化したいとおっしゃっていました。この取組みは、浜通り(浜っこ?)やその他の地域でも、非常に参考になる人づくり・まちづくりのひとつと思います。
会津藩校日新館は、会津若松城の西隣に東西約120間、南北およそ60間の敷地に水練場や天文台までをも備えた、全国有数の藩校でした。戊辰戦争により校舎は焼失してしまいました。1987年3月に會津藩校日新館として会津若松市河東町に残された図面をもとに完全復元しました。総工費34億円以上だそうです。この施設は、博物館・道場(弓道場・武道場)・研修や宿泊施設・映画撮影所などを兼ねており、各種の武道団体も頻繁に練習や合宿に利用しているそうです。
宗像精氏は会津の中学校長、会津若松市教育委員会教育長を務められた方です。「あいづっこ宣言」を策定した方といったほうが名が通っているかもしれません。「あいづっこ宣言」とは、会津藩幼年者のきまりであった「什の掟を」(下部を参照)ベースに現代の解釈をし、人としてあるべき指針を示した6項目です。
1. 人をいたわります
2. ありがとう ごめんなさいを言います
3. がまんをします
4. 卑怯なふるまいをしません
5. 会津を誇り、年上を敬います
6. 夢に向ってがんばります
やってはならぬやらねばならぬ ならぬことはならぬものです
<参考>什の掟-会津では同じ町内に住む6-9歳の藩士の子供たちが、十人前後で集まり(什 (じゅう))を作り、そのうちの年長者が一人什長(座長)となりました。順番に、什の仲間のいずれかの家に集まり、什長が次のようなお話を一つひとつみんなに申し聞かせ、お話に背いた者がいなかったかどうかの反省会を行いました。これを、ずっと口伝で伝えていったそうです。
一、年長者(としうえのひと)の言ふことに背いてはなりませぬ
一、年長者にはお辞儀をしなければなりませぬ
一、嘘言(うそ)を言ふことはなりませぬ
一、卑怯な振舞をしてはなりませぬ
一、弱い者をいぢめてはなりませぬ
一、戸外で物を食べてはなりませぬ
一、戸外で婦人(おんな)と言葉を交へてはなりませぬ
ならぬことはならぬものです
磐城平藩には藩校「施政堂(しせいどう)」、湯長谷藩には「致道館(ちどうかん)」、泉藩には「汲深館(きゅうしんかん)」が、それぞれあり、会津藩とほぼ同様の内容で藩士教育を行なっていたそうです。こうした心得の「人としてのあり方」を、現代人は忘れている部分があるのではないか。また自然の偉大な力に対して謙虚にひざまづく姿勢が欠けてきているのではないかと氏は指摘します。特に五常である仁義礼知信のうち、仁と義が、戦後の自由資本主義と高学歴社会の過当競争の中で忘れさられているのではないか。私も心に手を当ててみると、ファイナンスでは、確かに仁に足る行動が評価されるものではなかっただけに、心に沁みます。「義に死すとも、不義に生きず」「利によりて行なえば、怨多し」「凜と生きよ」等、会津の教えは、現代人の心をはっとさせるものがあります。
人としての根本は、親子孝行、次に兄弟姉妹仲良くすること、そして親戚を大事にすることだと言います。それがあってはじめて郷土愛が生まれるのであり、それが高じて愛国心になる。さらに高じれば人類愛になるかもしれないし、もっといけば世界平和につながるかもしれない。ただそれには順番があり、まずは親子孝行からはじめなくてはいけないということ。現代人がその過程をすっ飛ばして、愛国心や世界平和をいうのは、土台がない家屋のようなものであり、危ういというようなことをおっしゃっていて、納得しました。
このあいづっこ宣言は、2年間にわたって試行錯誤し作り込みをして完成したもので、現在、市の教育委員会とタッグを組んで、会津の小中学生に普及を図っているとのこと。会津若松市役所では「あいづっこ推進室」を設け、専属職員4名が普及活動にあたっており、あいづっこ宣言を印刷した名刺大のカードを5万枚を各家庭に配布済みだそうです。家庭によってはこれを壁に貼り、こどものしつけに役立てている(子どもをしかる際に、このあいづっこ宣言のどの項目に反しているかによって子どもを諭す)そうです。将来は、あいづっこの黄金律を守ることにより会津人そのものを差別化・ブランド化したいとおっしゃっていました。この取組みは、浜通り(浜っこ?)やその他の地域でも、非常に参考になる人づくり・まちづくりのひとつと思います。