前回の続きです。
http://www.mikito.biz/archives/23082277.html 
資料館は、元渡邉館長のご自宅敷地を提供されて作られています。敷地内にはこれまで収集してきた貴重な炭鉱関連資料が、ごろごろと見られます。産業遺産好きにはたまらないと思います。いくつか紹介します。

・トロッコ
実際に石炭を積んで軌道を走っていた無蓋貨車です。廃車?になるところをもらい受けてきたそう。渡邉館長が自ら修理をし、ウインチで引っ張れば走行可能で、実際に動かして頂きました。壮観です。
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・炭鉱住宅
役員用の炭鉱住宅で、一般のよりややグレードが高いそうです。錆びついた表札がそのまま残されており、当時の雰囲気が分ります。

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・石炭露頭
常磐炭田の石炭の層は、薄い・少ないといわれています(九州の筑豊炭田は、6-8枚の石炭層)が、少なくとも2枚の石炭層があることを、自分の目で確認することができます。

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・渡邉館長ご本人の給料明細
ご本人の賃金明細を公開しているのは、極めて珍しいです。当時は15日と末日〆で、月に2回賃金が支払われていました。出来高制だったそうですが、月に1万円以上の高給を得ていたそうです。渡邉館長ご本人の昭和33年4月の二回分の賃金計算表(現物)によると、月に21日出勤で14,739円を支給されていました。昭和33年当時の(エリートであった)大学の初任給大卒初任給が、約13,500円程度だったといわれていますので、それをやや上回る水準です。その賃金水準を、単純労働にもかかわらず高いとみるか、危険を伴う重労働の対価として低いとみるかは人によって異なると思います。

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・鉱員募集の看板
渡邉館長が所属していたのは新矢ノ倉炭鉱、実際の採炭したのはそこが所有する綴伊藤炭鉱 箭内抗でした。

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・坑内の地下マップ
常磐炭田の坑内地図は、廃山の際に原則として全て県へ召し上げられてしまいました。よってこちらに残っているのは貴重なものです。綴地区のかなりの面積の地下に坑道が掘られているのが分ります。

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これらの資料が大きな産業遺産的価値といえるのは、すべてのものが実際に炭鉱夫であった渡邉館長自身が経験されたたもの、またはご自分でお使いになったもの等であるからです。

幸いなことにテクノロジーの進歩により、自宅に居ながらにして常磐炭田みろく沢観光ガイド案内が解説が聞けるようになりました。実際に炭鉱に入って採炭をされていた、渡邊為雄氏本人の貴重な当時の証言がふんだんに収録されています。1分程度の動画が30本収録されていますが、産業遺産好きにとってはどれも見応えがありますよ(iTunesのダウンロードが必要となります)。